お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

自分のため

息子のアルバイトの朝。

いつものように4時半起床、5時半に出て行く。

「明日こそ、わたし、あてにならないから。もし起きてこなかったらここに焼き肉バーガーいれておくから、チンして食べてね」

実際、大学生男子のアルバイトのために親まで早起きしてご飯を用意してやることはない。事前に食べるものを用意しておくから、勝手に食べて出て行ってくれ。そういう取り決めもしたはずだ。

大学から一人暮らしをしている若者達のことを思うと、甘いなぁと思う。

思いつつも、決まって4時半に目が覚めてしまう。目が覚めてしまうと、しんと静まり返った家の様子にこっちが落ち着かなくなり「しかたないなぁ」と、一回のリビングで座布団を枕に寝入っている息子を起こしに降りて行く。起きてしまったついでに、食事を用意して、見送る。

一度遅刻すれば、いいのだ。痛い目をみて、体で覚えればいい。

わかっていても、寝過ごしたときに見せるあの、落胆した表情と、送り出してからの後味の悪さがありありと想像でき、それがいやで、起こす。

息子のためでなく、自分が一日を気持ちよく過ごしたいからだ。

これではいつまでたってもこの繰り返しだ。いかん。

しかし、こうも思う。

あとどれくらい一緒にいられるかわからない。数少ない「いってらっしゃい」を、すこしでも増やして記憶に残しておきたい。私の。

「いってきます」

門をでて、右に曲がる。桟になっている板の上から手だけをひょいとだして消えて行く。夫と息子がやる、おきまりのポーズに、見えないだろうけどこっちからも手を振る。

見送った。見届けた。

テレビを消し、パチパチパチっと電気のスイッチを切る。洗濯機を仕掛ける。

あとはもう、存分外でやっておいで。

わたしはもう一度、ベッドにもぐり、安心して目を閉じる。