お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

すべて大丈夫

息子が神妙な声と暗い顔で相談にきた。

「英語のさ、後期の課題図書をえらばないといけないんだけどさ」

レベル1から5まであり、英語の苦手な息子は前期、2を選んだ。高校レベルの簡単な物語だという。その翻訳をして提出するのが主な成績基準になるらしい。

本人は初めから、後期も手堅くこのレベルでいくといっていたが、今日になって周囲の学生がみんなレベル4、5を選んでいることを知り、急に心がざわつきだしたのだった。

「レベル2でもいいけど、全部2を選んだら評価はcになるって言われてるんだよね」

それで一段階上のレベル3のテキストに目を通してみたが、やはり、彼には難解で、どうしたものかと迷っているというのだ。

「いいじゃん、2で」

「でもほとんどみんな、もっと上をやってるからさ。成績もcになるし」

だからといって、息子が今から英語を猛勉強するとは到底思えない。好きなことはとことん、深く掘り下げるが、そうでないものには、まったく見向きもしない。それは、これまでの彼の勉強を見てきて一目瞭然のことだった。

「カッコつけじゃなくて、本音で選べばいいよ。そのために転科までしたんでしょ。英語が苦手でも、息子には息子にしかない強みや魅力がある。大丈夫、恐れず本能でいけ」

言ってから、わたしもずいふんと吹っ切れたものだと思う。

幼稚園の頃はいつまでたっても補助無し自転車に乗れない息子が歯がゆくて、早くみんなと足並み揃えてやりたいと毎週末近所の交通公園に夫と練習しに行った。

小学生になると、腕白坊主になって欲しくて、また、そうでないのは身体が健康でない自分の責任だと、なんとか外に連れ出そうと、バスに乗ったり、水泳教室に通わせたりした。

すべて無駄ではなかったが、もっと気を抜いていてもよかったのだと、今になって思う。

自転車がうまくなくても、今日は誰々が元気がなかった、誰と誰が喧嘩をして、誰々ちゃんが泣いて、泣かなかった方が怒られたけど、本当は泣いた方がいけないことをしたんだとか、そういうところをよく見て話す子だった。

活発で走り回るような子ではないけれど、ひとりで新聞を作ったり、お話を書いて製本したりする面白いところがあった。

なんでも万能な人間なんて、そうそういないのだ。

苦手なところを叩いて矯正するより、得意で好きなことをもっともっともっと、褒めて面白がって一緒になって笑えばよかったのだ。

「俺にしかない魅力ってなんだよ」

息子はキュッと口を横一文字にこっちを見る。

「それはさ」

几帳面で馬鹿真面目で妥協ができなくて、弱いものいじめはしなくて、照れ屋だけど優しいところがあって、ひょうきんでさ。

「いろいろあって言い尽くせないけど、その中で苦手な科目が英語だっていうのは、ご愛嬌ってなもんだよ。大丈夫、お前は天に愛されている」

ほんとかよ。なんでそう言い切れんだよと、苦笑いをしていたが、それは本当。

この世で生きているものは実はみんな、神様に愛されているんだよ。