お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

避難せよ

ごはんですよぉ」

返事がない。二階にいる息子、食事といえばドドドドッと威勢良く階段を降りてくるのに、寝たのだろうか。

「お食事ですけどぉ」

そこにゆっくり降りてきた。

「・・・やっちまったかもしれない・・・」

どよーんとした暗い顔で独り言のように、しかし、明らかにわたしに向かって呟く。

「どした」

「パソコンのいらないソフトを削除してたら、消してはいけないプログラムも消したみたい・・」

動かないのかと聞けば、今のところ何の問題もないが、いつもは表示されているWi-Fi設定を管理するアプリが消えているという。

「それで、いま、Wi-Fi、使えてないの?」

「いや、繋がってる。でも表示が消えた。なにか取り返しのつかないことをしちゃんだ」

繋がっているなら、大丈夫なんじゃないのと言っても息子の胸のザワザワは治まらない。

それはそうだろうと思う。

パソコンの些細な不具合は、素人であればあるほど、今何が起こっていて、それがどれほどのダメージなのか、よくあることで放っておいても問題ないのか、致命的なのか、ちょっといじればもとに戻せる程度か、修理が必要なのか、わからないから見当もつかず、モヤモヤする。

私もつい最近自分のMacBook Proがついに起動しなくなり、いずれ修理に持って行かねばと、どんより問題を抱えているところだからよくわかる。

ここは迂闊なことは言えない。

うっかり「こうじゃないの?ああしたら?こうしたら?」などと言おうものなら、やってみたけど事態がさらに悪くなったということにもなりかねない。

「まあさ、ここはご飯食べて頭を休めたら?脳に血液が回らないといい判断もできなくなってくるよ」

これは経験から言って、確かだ。

パソコンの前から離れられずに、ああでもないこうでもないと、あちこちやっているうちに、疲労した脳みそが「ええい、どうとでもなれっ」と一か八かの勝負にでてしまうことがある。それが功を奏すこともまれにあるが、大抵は、どよーんが、どよよーんの取り返しのつかない事態へと展開する。

「とても今、食べる気になれない・・・」

それもわかる。そうなんだよねぇ。そういうとき、もう頭がそっちにいってるから、気持ちをそらすことできなくなるのだ。

「じゃ、先食べるわね、置いておくから自分であとで温めてね」

あまり深く関わりたくないのでさっさと自分の分をお盆に乗せ、あえてテーブルでなく床に置いてある文机のほうに座ったのに、息子は負のオーラを纏ったまま、テーブルで深いため息をつき続ける。

ここでテレビをつけると怒り出すだろうか。

辛気臭い空気を吹きはらいたくてスイッチを入れた。文句は言わないが私の意識が自分の大問題から外らされたとは伝わったようで、はぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・と、聞こえよがしなため息を何度かついた。

これも無視すると八つ当たりがくる。ときどき思い出したかのように「だいじょうぶだいじょうぶ。いざとなったらマックストアに持っていけば直してくれるよ」と振り向いてヘラヘラ言うと

「なんて説明すればいいかうまくできないし、修理中にこれまでのデータが見られちゃうかもしれないだろ」

ありえない。

「そうか。じゃぁ、とことん納得いくようにやるしかないね。私は聞かれてもわからない」

やんわり、もう私にその件で話しかけるなと言ったつもりだが

「どうしたらいいんだ、あぁもう終わりだ、どうすればいいんだよぉ」

は続く。

・・・食事が美味しくない。絶叫するなら自分の部屋でやっていただきたい。

仕方ない。これが息子という人間だ、この極端なところが時としていい発想をしたりもする。私なら流してしまう不具合や居心地の悪さも、妥協できないこの頑固さが、転科するなどと大胆なことをやってのける起爆剤にもなっているのだ。

グレーも曖昧も、ドロドロも、抱えたまま取り敢えず進んで行くなどというやり方は、教えてもらうものではない。いっぱい傷を作りながら悔しい思いもして、身体で覚えていくのだろう。

観念した私は早々に食事をすませ、冷凍庫からアイスを取り出した。

「私、二階に行ってもいいかしら」

「うう〜」

「ちょっと二階でぼんやりしてくるね、落ち着いたら食べなさいよ」

「うう〜」

逃げろ逃げろ逃げろ。

一食抜いたところで死にはしない。

お腹が空いたらいつか食べるだろう。

たくさんのスパイスを使って作ってみたタンドリーチキン。どう?おいしい?って食卓をイメージしてたんだけどなぁ。

ま、そんなこともある。