お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

考えだすと難しい

息子が、食事中、急に思い出したかのように言い出した。

「ねぇ、目上の人に、とんでもございませんって言うの正しい?」

ん?いいような気もするけど、もっと違う表現があるような気もする。間違いとは思わないが。

「おかしくはないんじゃないの?目上って先生?」

「バイト先の上司。失礼ってことないよね」

曖昧なので調べてみると、とんでもございませんとは、相手の言ったことを強く否定する場合に使う言葉で、本来は友好的な表現ではないらしい。目上の人に使う場合は、強い否定という印象から、ときとして失礼になってしまうこともあるので要注意なのだそうだ。

「あした、この仕事仕上げられるよね」

「とんでもございません!」

何言ってるんですかっ無理に決まってるでしょっ!

ところが最近では、自分を減り下し、相手を立てて、強く否定をするときにも使う。この場合は失礼には当たらない。

「君、仕事ができるね。同期の中でもトップだね」

「とんでもございません!」

 

そういえばめっそうも無いっていうのもあるな。これはどうなんだろう。

調べると、こっちはやや、柔らかい否定。そして使う相手は目上限定。

失礼に当たることは、ない。

「君、仕事できるね。同期の中でもトップだね」

「滅相もございません」

 

ただ、これはどちらも否定するということは、褒められてこのどちらかを用いて返事をすると、せっかく褒めてもらった内容を自分では受け入れないということになる。

じゃぁ素直に「ありがとう」と伝えたいとき、目上の人にはなんていうのか。

「恐れ入ります」

なのだそうだ。

 

「でもさ。バイト先の上司も事務や営業の社員じゃなくて接客業だし、アルバイトの若者と、もう少しフランクに付き合いたいんだろうしねぇ。」

「うぅ。俺、そうでなくても、超真面目って言われてるのに」

難しい。

言葉って発する人と、受け取る人が、その暗号を同じ使い方をするか、チョイスをするか、意味合いは同じでも微妙なニュアンスまで共通した解釈で選び、組み合わせているのか、そこによって本当に伝えたい気持ちが正しく届いていないこともある。

 

そのことに気がついて、わたしは実は最近、翻訳機のソフトを変えた。

母の言葉の自動翻訳機。

以前のソフトは「あなたなんか産むんじゃなかった。」→【この世から消えてくれ】と訳していた。

これを今使っているもので翻訳すると「あなたなんか産むんじゃなかった」→【いくつになっても心配ばかりさせる子だわ。でもそれだけ愛してるってことよ。】となる。

彼女の本心と照らし合わせていないから、真実は不明だが、これでも意味は通る。

そして私はこの解釈の方がいい気分になる。

なんでも自分の都合のいいように考えるって、いけないことだと思っていたけれど、関係ない。ご機嫌で生きるのに、いいも悪いもない。

私にとって、柔らかい穏やかな気持ちでいられることぐらい幸せなことはないのだ。

 

「じゃ、せっかく堅物ってことになっているなら『滅相もございません、しかしながら身にあまるお言葉、ありがたき幸せでございます』って言えば」

「侍じゃねぇか、それは」

思いを伝えるって、あんまり考えすぎると、右手右足一緒に出るみたいになる。