目覚めのとき
毎晩、夜、パソコンを使った後、システム終了をするようになった。
これまで、またすぐ使うからと、常時、画面を閉じてスリープ状態にし、ぱかっと蓋を開けるようにまた画面を開く。
いつでもスタンバイOK状態。
今、これを書くのに使っているのは、古いMacBook Airだが、つい最近、MacBook Proの調子がおかしくなり、修理に出されるのを待っている。
あれは酷使しすぎた。ちょっと思いついたことをメモしたり、気になることをすぐ調べたりと常に、それこそスタンバらせていた。
常に動いている自分の思考を止まらせることなく残し、調べる。
スタンバイOKの秘書がいるということは、こっちも常に稼働するのがあたりまえのことのようになってくる。
私の脳もシャットダウンをしなかった。ちょいちょい家事をし、そのときふと浮かんだことや気になったことが出てくると、即、パソコンに向かった。
これを、自分では「濃く生きている、有益に時間を使っている、有能な自分になっている」と勘違いしていた。長いこと。
隙間時間を作らず、有益に1日を過ごすこと。
それを自分に課していないと、自分が価値のないダメな人になると、怯えていたのだ。
いつも何かを探していた。
興味を持てそうな本、出かけていく理由になりそうな展覧会、映画。家族が喜ぶという評判の時短料理。有益な情報、お得な情報。
MacBook Proが壊れ、直そうにもこの暑さで修理に持っていく体力もないこの夏、私の中で何かが大きくシフトした。
お手上げなのだ。
数年前、あの時は、逃げるように体を酷使し、働いて働き抜いて、一日中、体を使って心を安定させていた。そうしたら、ある朝、もともと丈夫でない身体が突然、壊れた。
死ぬ寸前だった。
結局あれと同じことをしていたのだ。今度はMacBook Proを酷使して。
気の毒なことをした。私の身代わりになって、目を覚ませと教えてくれたのかもしれない。
パソコンを夜、ちゃんとシャットダウンさせ、休ませる。
すると翌朝、MacBook airちゃんは、張り切って、立ち上がる。そしてサクサク動く。
今、私は思いつく何かがあっても、それを一度、流す。
情報を仕入れたから、知りたくなったり行ってみたくなっただけじゃないかと、それを保留し、寝かせる。
見たから欲しくなったもの、聞いたから観たくなったもの、読みたくなったもの、お得だから、タダだから・・・。
そういうものは、違う。
湧き上がってくるもの。
ワクワクするもの。
何度も何度も思い浮かべては、うっとりするもの。
それが、本物。
これまで、自己評価を上げる可能性のあるものに反応してきたから、それをガラッと変えて暮らす今、びっくりするくらい、自分がわからない。
なにを好むのか。どういう傾向のものに惹かれるのか。
ただ、どうも見えてきたこととして、私は、自分が思っていたほどテキパキもしていないし、有能になれる要素も持ち合わせていないようだ。
私の好きなものは、どうやら一昔前のものが多い。
ゆっくりしているもの。穏やかなもの。刺激の弱いもの。
一日、何もワクワクのタネが浮かんでこなくて、困る時もある。
でも、そこで何かを探しにどこかに出かけたり、ネットをさまよったりはもう、しない。
じっと待つのだ。
何日も。本物が浮かんでくるまで。本物の好きを釣り上げるまで、じっと待つ。
今のところ、昔のドラマ、趣味に走った話題にもならない本に反応を示す。
それと、ぼんやり外を眺める時間。
困っちゃう。
あんまりにイケてない私が浮かび上がってくる。
でも、そのイケてない、仮面も見栄も自己評価も取っ払った野生児の私が、息を吹き替えしているのも、感じている。
方向としては間違っていないように思う。
ずっと息を潜めていた私が、今、やっと蘇り、今の時を生き始めているのかもしれない。