コブクロにしないと泣きそうな気がしたのだった
なぜか実家にいる。
母が今朝、庭からやってきて
「お盆だからお父さんのオーディオ、使ってあげてちょうだい」
と言ったからだ。
父はいつもひとり、書斎で音楽を聴いていた。
クラシックもジャズも好きだった。喫茶店みたいに壁じゅうにぐるっと書棚があって、そこに本とCDがびっしり詰まっている。
入口脇にはレコードが、これまた売れそうなほど入ったケースが置かれているこの部屋は、父の城だった。
夜、本を読みながらなにかしら聴いていた。
洋服も旅もゴルフも車もこれといって贅沢をしない父が唯一、つぎ込んだのはオーディオ機器だった。
会社での役職がいつどう上がったとか、一切家族に話さない人だった。いつだったか、父の会社の部署の人をうちに呼んでバーベキューをしたことがあった。そのとき、お客さんが父のことを「部長」と呼んでいたのを聞いて、母も含めた私たちは「部長になったらしい」と推測した。
そして、ある日、家に新しい以前より立派そうなオーディオが届く。そこで私達は「ああやっぱり」と確信するのだった。
先日、母の弟が調子のわるくなったこの機器を直しにきてくれた。
「これ、車一台分くらいするよ」
そう言っていた、今この部屋にある巨大なスピーカーのステレオには、リモコンもないし、スマホと連動することもできない。
一昔前の父の一番いい時代だったころ、我が家にやってきた最後のこのオーディオはわたしには立派すぎてしっくりこない。
父のコレクションを聴いてやるのが一番の供養だと思うが、シンミリしそうな気がするのでよした。
もってきたコブクロをセットし、流すと、聴いたこともなかった声量の二人が、目の前で演奏しているかのような迫力で歌いだした。
CDを入れるとき、オープンクローズのボタンを押す。
ボタンの周りがうっすらと茶色く手の脂の跡をつけていた。
何度、このボタンを押したのだろう。
やりきれないとき、浮かれているとき、怒りを鎮めるとき、考えをまとめるとき。
その父の心の中にわたしの場所もあったのだろうか。
コブクロが泣くような声で歌い上げる。
ほら。だからやなんだ、この部屋で曲聴くの。
お父さん。恋しいよ。