私の未来は私が受け入れさえすれば、なんでもありのまっさら
昨日、ママ友に誘われて、動揺しつつ、「もし誘われたら今回も行くのはやめよう」と決めた途端、気持ちが楽になったと書いた。
それに対してasaさんが、「行けるかも」じゃなくて「行きたい」になったら行きどきなのでは?と書いてくださった。
あぁ。
本当にそうだ。
この後に及んでもやっぱり私は自分を叱咤激励して、なんとか人並みになろうとしていたんだなあ。
もう以前の私じゃないんだ。
できないことがたくさんあるんだ。
そのことを悲しく思うこともあるけれど、事実は変えられないと受け入れた。
受け入れているつもりだったけれど、もとどおりになろうとする癖は残る。
行きたいなぁと思わなくなっているし、これからも思わない気もする。
KONMAさんがコメントで、「いいんじゃないですかぁ」と残してくれた。
mashelyさんは「行こうと思えば行ける気もするけれど、やめておこうと積極的不参加の判断をしたのはやはり、小さな前進だと思う」と教えてくれた。
昔の私に戻ろうとしなくていいんだ。
小さく向かっているその先は、未来の私なんだ。
これからの私はどうなって行くんだろう。
そう思うと、未来がパッと開けた気がする。
どうなっていってもいいんだと、心の底から思えたら。
恐怖心が本当になくなったら。
きっともっともっと毎日がワクワクするだろう。
私の未来は真っ白で自由だ。
毎日が初めての日。
毎朝が真っ白の日。
雨に降られて1日中、イケアの椅子に座って本とドラマで過ごしながら、ぼんやりそんなことを考えていた。
みなさん、ありがとう。