お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

バージョンアップ

昨日はやはり行ってよかった。

映画の内容も当たりだったが、自分に戻った時間だった。

映画のチケットを買うとき、この映画館は窓口の中の女性にタイトルと「大人一枚」と言う。すると座席表を差し出され「どこにしますか?」と聞かれる。

このやりとりが好きだ。

「視力が良くないので字幕が読める位置がいいんですけど」

「それなら今ならこのラインのあたりですね。列の端がいいですか?真ん中寄りがいいですか」

「あぁ、端っこがいいです」

「それでは、ここはどうでしょう、今ならお隣もいませんし」

「じゃあ、そこお願いします」

ポツポツと円状に穴の空いたガラス越しに、この会話をするところから映画のモードに潜っていく。

息子や夫と観に行ったときのように、予約しておいたチケットを機械から発券するのとは違うアプローチが、自分の映画時間の特別な儀式のようで、ワクワク感が高まる。

銀座の裏通りを上映近くに中年以上の観客がどこからともなく、そろそろと集まってくるのも、趣味の似ている人々の集いのようで楽しい。

 

上映後も急いで慌ただしく帰る必要もない。

夕飯にシチューとサラダと豚もやしを作ってきた。

GUストアを冷やかして、家に戻った時は7時だった。

テーブルの上には柏餅が置いてある。母が来たようだ。

「トンさん、帰ってるの?どこ行ってたの?こんな遅くまで」

銀座で映画を観て来たというと眉間にシワを寄せた。

「楽しかったヨォ。ダイアンキートン、よかった」

思わず溢れた。

「・・・あんまり遅いから、気をつけてください」

そうね。でもご飯もできてるし、息子も今日は10時過ぎなのよ。柏餅ありがとね。

 

うまく表現できないのだが。

私の中の私が、私を信用しても大丈夫な気がしはじめている。

疲れたり、めげたりしても、この人が自分をしっかり守ってくれるんじゃないか。

この私を守ってくれる私という存在は随分強い人になったみたいだ。

何があってもこの人だけは絶対私の味方でいてくれる気がする。

もう安心。きっと大丈夫。

 

私ってダメ

私って・・などとはもう言わない。

何があっても私の絶対的味方の私がいつも一緒にいてくれる。

 

ふふふ。