お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

トラ母思う

極度の心配性と個人情報流出を恐れるあまり、ネットを通じての友人たちとの交流や増してや先生や学校などとも繋がることを嫌がる閉鎖性。

基本は芯が強く、何事も納得しないと進まない、優しく陽気ないい奴で、親バカ母としては文句のつけどころがないのだが、近頃、新学期にあたりあちこちとコミュニケーションを取る手段としてラインやアドレスの登録を迫られ、その度に「大丈夫だろうな」と用心している様子に出くわすと、私はどんよりとしてしまう。

大雑把な私からしてみたら理解しがたいほどの警戒ぶり。あれさえなきゃ大きく羽ばたけるのに。惜しくてたまらん。

こういうことを皆、実家の母にぼやくのだろうか。そして、自分の母に

「あなただって似たようなものよ」とか「いい子じゃないの」とか言ってもらって安心するのだろうか。

我が母にそんなこと言おうものなら

「そうよそうよ。だから前から言ってたじゃない、あの子、このままだとずっと友達も作らないでますます頑固になっていくわよ」

と返されさらに落ち込むことになる。

甘えるな。田舎に住む母と離れて暮らしている人だったらこんな些細なこと、ぐっと乗り越えてやっているはずだ。

死んだものと思おう。もうお母さんには会えないのだと思えば、元気に生きていて、すぐ会いに行けば話ができるところにいてくれるのだ。もはや母は、生きていてくれるだけでいい。

あ、そうか。

そうだ。

息子だって。

大きな基本、元気に生きているじゃないか。

授からないはずの私のところにきてくれた。

五体満足で生まれてくれた。

母親を体験させてくれた。

悩んだり不安になったりしているのをハラハラもどかしく思うこの感覚も、私にとっては手に入らないはずのものだったじゃないか。

私もそうだった。

あの年、今夜が山ですと言われたまま死んでいたことを思えば、家族のことであれこれ気を揉みながら生活している私って、すごい、奇跡だ。

 

あぁ。

全てがありがたい。

奇跡の上に奇跡が重なっている。

 

謙虚に。