お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

頑張りたくない私

 

『人よりも

自分の体力が劣っていることは争えばすぐに自覚できる

自分の知力が劣っていることも成績で比べればすぐわかる

 

でもね、自分の命が劣っているとは思わないことだ

なぜなら

命は誰にも劣っていない

比べたって

他の人とちっとも違わないんだ

この「事実」をしっかり感じとることだ』

 

加藤 祥造さんの詩の中にあった。

自分に向かって言われているような気がした。

 

命は誰にも劣っていない。

それが真実。

社会の自分と生まれたときからの魂の自分。

二つの自分。

私は体の調子が良くなると、もっとできる、もっとできると頑張る。

それは、元々の命の自分より社会の自分をカッコよく膨らませて、

自分に納得しようとするから。

頑張った私なら自信を持って受け入れられるから。

それは自分で自分に見栄を張るのと同じ。

自分で自分を騙しているのと同じ。

ありのままって素直ってこと。

素直に「もう疲れた」と言うこと。

屈託なく「もうやりたくない」と休むこと。

 

何者にもならなくていいとわかったとき

頑張らなくても努力なしで受け入れていいんだと知ったとき

安心したけど、どこかでまだ用心している自分がいる

本当に頑張らない私になったら私は私を嫌いにならないだろうか

それでも愛せるだろうか

自分の本性の怠惰さに嫌気がさして生きているのが辛くなるんじゃないだろうか

 

でも心地よく気軽で楽しいんじゃないの?

心にも体にも無理がないっていうことは。

 

さぁ、何をしたい?

何やって過ごしてもいいんだよ、これから毎日。

そう言われて私は困る。

だらだらするのが好き。と真っ先に浮かぶ。かっこ悪い。

 

読みたい本もある

読みたい漫画もある

観たい映画もある

ギターも習ってみたい

散歩もしたい

写真も撮りたい

でも、今日はだらっとしたい。

 

焦る。

やりたいことがたくさん山積みなのに

読みかけの本も、行ってみたい散歩コースも

思いつきはたくさんストックがあるのに

 

でも、今日はいい。今日はだらっとしていたい。

魂担当の私が言う。

社会担当の私が焦る。

いいの、いいの?今日、生産的なことなんにもしないでもう終わっちゃう。

 

思いつくけど、思いついただけ。今はお家でのんびりしているときが一番幸せ。

二階の窓を開けて風が気持ちいい。目を閉じる。心地いい。

そうしていたい。

 

命の私と社会の私。

社会の私はガツガツしてる。

命の私が本当の私。

その子はお家でのんびりが一番いいと言う。

その命が誰にも劣っていないと知ったなら、思う存分怖がらずにやってみればいい。

怖がらず。とことんやっていいんだよ。