お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

寝たきゃ寝ろ

夫に電話で「次回からはもう少し工夫してよ」と言ったが、夫は変わらないだろう。

「あ、ごめーん」と言いながら、きっとまた同じ状況の時は似たようなことをするに違いない。それが彼だ。よくも悪くもブレない男。

そのブレなさにどれほど救われたか。

妻が鬱になろうが、情緒不安定で急に泣きじゃくり出そうが、体が弱くて入退院を繰り返そうが「この妻でいいんだろうか」とか「なんでこんな妻なんだ」とか「どうにかして改善させよう」とかこれっぽちも思わず、何にも変わらなかった。

変えようとしないってすごいな。

結局、リビングで寝たのがいけなかったのか、私は今朝熱を出した。

何度も何度も体温計で測る。どう頑張っても7度3分。

もっと景気良くパーッと上がってしまえば、ぬくぬくと病人気分でベッドに潜り込むのだが、この辺りが一番微妙なラインだ。布団にくるまるには気がひける。そうかと言って、だるくて家事をやる気になれない。

未練たらしく脈を測って少し早いなと思ってみたり、もう一度熱を計ってみたりしているうちにこれは

「この程度なら学校、行きなさい。その代わりお友達と約束して来ちゃダメよ」

と小学生の頃、学校を休むほどでもないけれどお遊び禁止という一番悔しいパターンだったあれだと納得した。子供の頃は親に隠れて体温計をこすって温度を上げたりして何とかやすみたいと躍起になったが、自分が親になっているのでそんなことしても意味はない。

寝たきゃ、寝ろ。それだけだ。

そういうことなんだな。つまり。

夫に工夫してよというのは、おかしいのだ。寝たかったら私が勝手に寝ればいい。前もってそうなるとわかっているなら昼寝をしておくなり何なり、自分の方で調節しておけばいいのだ。工夫をするのは私の方だった。

夫に自分の体調管理にまで気を配れというのはおかしい。おかしかった。

「ひどい、ひどすぎるよ」

と憤慨した私に「ごめんごめんごめんごめん」とさらっと言う夫は本当の大人だ。

 

茨城のり子さんの詩に「自分の感受性くらい自分で守れ、馬鹿者よ」というのがあって、その気位の高さが大好きなのだが、それと同じだ。

自分の機嫌も体調も、すべて。このたくさんの細胞と感情の総合商社の社長は私。私が私の統括責任者なんだから。自分で守れ、馬鹿者よ。