お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

あっぱれ

先週、もう5年ほど会っていない友人から電話がかかってきた。

田園調布に住み、買い物は三越の外商、ご主人は大手の商社マン。双子の男の子もその上にいるお嬢さんも有名私立大学の付属に合格させつつ、有名なお菓子の先生のお弟子さんで、その腕前はプロ級。

私が体調を崩すまで通っていた趣味の教室で二人は一番の若手同士だった。

「下品で馬鹿な人は嫌い」と言ってのける彼女と馬鹿で鈍臭いこの私があうはずもない。なのにどういうわけか、私と仲良しだと周囲に言ってまわっていた。

不意にベンツで乗り付け「庭でとれたハーブと私が焼いたケーキよ」と持ってこられると断れず、度々我が家でお茶を飲んだりしたこともあったが、いつも押され気味で苦手だった。

入退院を繰り返し深い鬱の底に潜ったあたりから私の方から音信不通になり、途切れたままの数年間だったのに急にどうしたのだろう。

「突然ごめんなさいね。お元気?お変わりない?」

相変わらずの早口で品のいい話し方で、そう言う。

「今度私、本を出したの。ご迷惑でなければ読んでいただけるかしら」

書き溜めてきたエッセイを自費出版したそうだ。ちゃんと店頭にも並ぶらしい。

ちょっとショックだった。

私が鬱やら入院やらで、ただ生きてだた食べて寝ていただけの日々に、彼女は一歩一歩前進していた。日々の生活の中で少しづつ書いたものを本にまでしてしまった。

製本するには出版社との打ち合わせ、推敲、構成、ゲラのチェック、相当の労力がいる。それらを3人の子供達を私立に合格させ、主婦もこなし、お菓子も焼き、並行してやってのけてしまう彼女の能力は私をはるかに超えている。

もともと競う相手ではない。やきもちなど焼くはずもない。

なのに瞬間「やられた」と落ち込んだのはやはり、ライバル意識を持っていたのかもしれない。

「ありがとう。読ませていただくわ、ぜひ送って」

心にもない言葉を言う自分が卑屈で嫌だったが、そう言うしかなかった。

それが、今日ポストに入っていた。

それはあらゆる点から完璧だった。

彼女らしい変に気負っていないシンプルなデザインと淡い色の表紙には、可愛らしい女の子が肘をついて窓から空を見上げている。タイトルの文字も控えめな書体で悪目立ちしていない。中の文章も自費出版にありがちな著者の思い入れの強すぎる前書きもあとがきもなく、いくつかのエッセイが20編、目次と収まっているだけの、すっきりとした上品な本だった。

少しくらい、ツッコミどころを残しておいてくれよ。

そうしたらそれを見て意地悪な私は納得できたのに。ほら、どうせ素人の本ってこんなものだもの。これなら悔しくもなんともないわ。って。

少しずつ彼女の文章を読む。

しぶしぶ読み始めたのだが、陽気で好奇心旺盛なエネルギーが溢れていて、ついつい読んでしまった。

いい一冊だった。

彼女に手紙を書こう。

近所の美味しいお店のクッキーと一緒に送ろう。

『本をありがとう。拝読しました。面白くて引き込まれました。よかったです。すごいね。よくやったね。よく頑張ったね。悔しいけれど、脱帽だよ。今度、お茶をしながら感想を聞いてください。』

不思議と清々しい。