そら豆の季節
昨日の夕方、庭から窓をコンコン叩く音がする。母だった。
バスの中で老人用のフリーパスを知らぬ間に落としていたらしく、警察署から電話がかかってきて、今、それを取りに行ってきたところだと言う。
「警察っていうから、騙されないわよって低い声出したら、本物だった」
帰りにデパートの地下でお惣菜を買ったついでとそら豆をくれた。
そら豆は死んだ父の大好物だった。春の入り口になると食卓に上るが、父の前の小鉢にたっぷりと盛られ、私たちにはそのおこぼれで、5、6粒、小皿に載せられていた。
お酒の大好きだった父は晩酌のお供になるものにうるさかった。やれ、味が濃いだの薄いだの。買ってきた惣菜なんか出した日にはむすっと膨れて箸をつけない。
「愛情が感じられない」
というのが言い分だった。
その父がとりわけうるさかったのが、このそら豆の茹で具合だった。
豆はあっという間に火が通る。だからさっとあげなくてはならない。
しかし、いくらなんでも早すぎだろうと、ほんの少し、念を入れてしまう。
ざるに上げても余熱でどんどん柔らかくなってしまうのを計算に入れないから、私が茹でるといつも、愛情のないそら豆になってしまうのだった。
母に頼まれて茹でるたび、大げさに喜んで見せる父が、口に入れ、上機嫌が続いたままぱくぱくと食べ進めるのを確認するまで、気が抜けなかった。
母から受け取った包みを開ける。茹で上げると、あの独特の青くさい匂いのする湯気がもうっと顔にかかった。
このとき、いつも泣きたいような衝動が一瞬だけ、くる。
ご馳走と 踊って見せて ビール抜く あなた恋しい 空豆の湯気