お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

大きな本屋で安心する

渋谷のジュンク堂に本を買いに行く。あらかじめネットで在庫を確認しようとパソコンを開くと、お目当ての本に辿り着くまでに「こんなのもありますよ」「この本を買った方はこちらも買っています」との案内につい、フラフラしてしまう。

ネットの中での寄り道中、ちょっと面白そうなエッセイを見つけ、それもメモ。

いかん、この調子で見ていたら、買いたい本がどんどん出てきて、出かける時間がどんどん遅くなる。

パタンと閉じて、外に出た。

体調が崩れているようでこのところ目眩と微熱が出たり引っ込んだりしている。そんならのんびり家に居れば良さそうなものを、出る。

先日から何度もお茶を飲もうよと誘ってくれる彼女のパワーがいまはしんどい。不意に突然入って来て、ちょっといい?という関係は、元気なときは、嬉しいし、そんな垣根なく付き合ってくれる友人がいることが誇らしくもなる。

「いいよ。上がっていってよ」

「じゃ、お邪魔するね」

「お茶、いつものでいい?」

「あ、いらない、今飲んで来たから」

お化粧をしてなかろうと、料理の途中だろうと、洗濯物がぶら下がっていようと全然平気。内弁慶の私がそんな関係になれたのは彼女のグイグイのおかげなのだ。

内弁慶は時々、篭る。カタツムリのように自分の殻に引っ込んで、そこで一息つきたがる。そうすることで外界とのバランスを保ち、何かを整える。

テレビもラジオも一切消して無音の中、文を書いたり、本を読んだりしたくなる。

今まさにその真っ只中。どうも調子が出ない。調子が出ないと心も疲れやすくなるのか、人を遠ざけたくなる。

 

いつ、インターフォンがなるかとビクビクしながら家にいるより、外に出てしまいたい。きっと今、彼女が来たら、私はまた断るだろう。彼女もさして気にもしてない風を装って「OKまたね」と許してくれる。

でもできることなら、そんな場面、もうこれ以上作りたくない。

家にいなかったら、祖母のところに行ったか、買い物か、病院か、どこかに行って留守なんだとなる。そうかといって居留守をする度胸もない。

あぁ。おおらかに受け入れる柔らかさがないんだなぁ。

246を歩きながら、ちっぽけで偏屈な自分に向き合って落ち込む。

二駅歩いた。意味も関係もないが、寒い中歩いたことで、自分の中自分を許してやろうという気になれたので地下鉄に潜った。

駅の中をヒールにトレンチコートの働く女性がかっかっかと歩く。リュックを背負って、スニーカーの自分が何かから逃げてるようで、逃げていない彼女たちが立派に見えた。

大きな本屋に着いた。

そこにはまた次元を超えた違う世界が広がっている。

アート、経済、料理、参考書、育児、文芸、写真。

ぐるっと一周する。このたくさんの本の中のどこかに、自分の居場所があることが体感できた。ホッとする。

いっか。このまんまで。こんな奴もいたっていいか。

ホッとしたら、ついつい奮発して、目当て以外に3冊買って予算を大きく超えてしまった。

が、なぜだろう、ウキウキしている。