お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

だから何?っていうような全くの私事と、葛藤です。すみません。

今日は。昨日から雪が降るかもしれないと知っていたので、1日家に居ようと決めていた。

なんかこう・・・。なんていうんだろう。

気持ちばかりが走っている感じで、心と身体がちぐはぐになっている気がしていたのだ。ここのところずっと。休みたかった。

大丈夫なんだ。何もしない1日を過ごしても大丈夫なんだ。

 

いつの頃からか自分で自分を認めるために、母から認めてもらうために、自分を休ませない癖が、抜けない。止まることができない。

家の中でぼんやり空想の世界とテレビドラマやラジオやネットの間をいったりきたりしながら猫のように気ままに過ごすのが好き。

子供の頃はずっとそんなお気楽な毎日で、いつも私は幸せの国にいた。

母も姉も祖母も、バカな子と嘆いた。

知能がない。役に立たない。中身がない。何をやってもダメ。

唯一、堅物で母も姉も祖母も怖がる父だけが、「お前は本当に面白い奴だなぁ」と笑ってくれた。私はそれが得意で救いで、そこに自分の価値を感じることができた。父に笑ってもらいたくて、道化役を徹底した。

 

母には子供の頃からできのいい姉と比べられた。お笑い的役割が私と演じてきたけれど、自分の家庭と育児まで否定されるのにはどうにも我慢ができなかった。

 子育ての仕方について母と姉から連日注意をされ、主導権を持っていかれた日々が辛かった。

ここでも素直にならないといけないのだろうか。私の意地で「自分のやり方で育てるから口出しするな」と言い切ることは、息子の将来の可能性を狭めることになるのではないか。葛藤しながら、大きな流れに逆らわない方を選んだ。本能をもみ消しながら穏やかな日常を続ける嘘つきの自分も嫌だった。

息子の中学入学した4月。持病が爆発して、倒れた。救命センターに家族が集められ覚悟をするようにと言われた。2ヶ月入院し、退院一週間後の検診でまた、即その場で入院させられた。絶対安静、面会謝絶の2ヶ月。そして2度目の退院後の鬱。

こうして書いてみると、今、自宅に戻り、主婦を続けていることだけで、自分を許してやってもいいんじゃないだろうかと思う。甘いだろうか。逃げているだろうか。独りよがりだろうか。

確かに、人並みじゃない。

確かに、そう役にも立てない。

でも、私には私の事情と歴史と思いがあって、今に至るのだ。

誰もわかってくれなくてもいい。私だけがわかってやりたくなってきた。

鬱の頃には拒絶していた母とも姉とも笑って会話ができるようになったのだって、実は相当心の訓練をした。

今は、許せない部分も抱えつつ、感謝と愛の方が強い。

やはり私は二人を屈折しながらも愛してる。

愛することができるようになれたじゃないか。私さんよ。

いいんじゃないか。そろそろ、自分を全肯定してやっても。

頑張らないで、もっと気を抜いて暮らしてみたらどうだろう。

もっとストレートに。

長い長い間の癖と考え方を、大きく変換するのは怖いけど。

私が私を。本当に受け止めて引き受けるのだ。

非難も批判も引き受けよう。

怒りはもういらない。

 

私は執念深く、二人を許していない。多分、今も。

でも、怒りは手放せた。

私が私を100%引き受けたら、もっと深く愛せる。

そんな気もする。

そういう自分になりたいのだ。私は。