私の中のいちばん厄介存在
朝起きて、朝食を済ませ。そこまではたいしたことなかった。
食べたとたんにどうしようもなく怠く、横になる。気がつくとテレビを見ているつもりが寝ていた。抵抗して、目を開けて画面を見る。また寝ている。
次に気が付いたら11時だった。
焦る。何もしないまま午前中が終わってしまう。
とにかく立ち上がってみたものの、何もやる気にならなくてまた、横になった。
振り返ると、なんらかの不具合が起きていたのかもしれない。
睡眠不足か風邪気味か。持病が少し騒いでいるのか。
落ち着いてじっとしていることができない。
身体の方はサボりたがっているのに、前頭葉がそれを許さない。
何かしなくては。何かしなくては。
とりあえず散歩に出た。
数メートル歩いてみて、あ、ダメだと思う。
歩き始めたばかりなのに、もう、帰りたい。帰って横になりたい。
ここで引き返そうか。いや、半分だけ、半分ならいける。
途中、お腹が痛くなり、通っている国立病院のトイレに寄った。
こんなにまでして私は何をしているんだ。
帰ろう。
スーパーで買い物をして家に着くと、冷蔵庫に押し込むようにしまい、また横になる。
ラジオをつけた。
ただ、じっとしているのが、なぜか、何かを無駄にしている気がする。
ながら作業ができない。ラジオを聴きながら、ブログを書くことも、読むこともできない。聞いているときは全神経総動員で聴いてしまう。読むとき書くときも全神経がそこにいく。
料理も。何かしながら何かができない。
ラジオを聴きながら、何ができるか、一生懸命考える。
何をしよう。何をしよう。何ならできる?
なにもしなくていいのかもしれない。
体調がどうこういった理由抜きで、一切、なにもしなくてもいいのかもしれない。
夫も息子も、テレビの中の人もラジオの中の人も、ネットの中の人も、みんなアグレッシブに毎日「何か」をしている。「何か」を考え、行動している。
私は何もしない人。
一度に一つしかできない。
一つのことしか考えられない。
一つのこともできないこともある。
実を言うと。
何にもしないとき、私は解放されている。
許されるなら、何もしたくない。
ふらふらとその日その日の気分で適当に過ごしたい。
自分で自分を追い立ててきたのはなんのためだったのか。
何もしないを追求してみようかな。
何もしないを、する。
あぁ、また自分に枠を作っている。
つくづく、私の敵はただ一人。堅物のカッコつけしいの私、おまえさんだよ。