お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

自由なんだなぁ

自分以外の誰かが自分に対して「お前はそれがダメだ」「醜い」「おかしい」「変だ」と言ったとしても。

それが大勢の意見だったとしても。

自分が誰かを苦しめることをしていないのだったら、その批判や悪口やからかいは、その人の存在価値とは全く関係ないのだ。

それらは、結局のところ、彼らの「感想」に過ぎないし。

本を読んで、映画をみて、みんながみんなベストセラーに感動しないように。他の人が理解できないところで喜びや感動を感じで生きる人たちもいる。

私は人の視線、特に母と姉の視線と思考と心理状態に常に自分を無意識のうちに合わせてきた。

今、どう思っているのか、機嫌がいいのか、寂しいのか、傷ついたのか、気にしてないのか。

最新の注意を払って言葉を選んで接してきた。

でも、あちらがどう思うかはあちらの自由なのだ。私を気に入らないなら、それも一つの感想なのだ。それを口に出して言っただけのこと。

それに私が全力で反応して矯正することはないことを知らなかった。

こちらがどう受け、どう反応するかもやはり自由なのだと言うことに至らなかった。

もっともっとシンプルな構造なのだ。

 

誰かにどうこう見られたところで、私自身の存在価値とは全く関係ない。

どうしてこんな簡単なこと、誰も教えてくれなかったんだろう。

どうして私も気がづかなかったんだろう。

ただ、そこにいるだけで意味も価値もあるのだ。

とてつもなく私は自由なのだ。

向かい風と思うから傷ついた。

違う意見の人々、違う星の人たちが、「私にはあなたがわからない」と感想を言っている・・・が、ただ、起きているだけのことだった。

どうするか、それは個々の自由。

誰もが。