お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

自由

なんで、急に、朝の散歩におしゃれなカフェを盛り込んだかというと。

自分を試してみたかった。いつも、気後れして、いかにもマダムのブランチの中に自分が混じって座るなんて、できっこないと思って通り過ぎていた。

今日、ふと思った。本当にそうかな。座れないというのは、物理的身体機能的なことではなく、心理的に決めたこと。座ってみたらどうなるだろう。

それでやってみた。

どうってことなかった。

あちらも、こちらも、どうってことなく、ジロジロみられるわけもなく、滞りなくコーヒーは運ばれてきて、私はリラックスして飲んだ。

こういうことなんだと思うのだ。

私が「本当はこうしたいけど、でも。。」とためらっていることの大半は、やってみたらどうってことないのだ。

本当は家事も家族も放り投げて、パーっと海でも見にいきたいけどなぁ。行けるのだ。本当は、中古じゃなくて新しい携帯、買いたいんだけどなぁ。買っても大丈夫なのだ。

本当は。

やれるし、やって大丈夫だし、やったところでなにも起きない。

そんなことを思ってスーパーの帰り道、このまま、ここでタクシー拾って「海の見えるところまで」って言って旅に出ちゃうってこともできるんだけど、帰ってご飯作りたいから、帰ろう・・・と一人でニヤニヤしていた。

帰宅して、おかえりと言われ、「帰ってきてやったぞよ」と偉そうにする。