お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

堪忍袋

7月8日

今日は1日、たいしたことをしなかった。

暑さで、というのは言い訳か。何もやる気がしない。こういう時は、考えないほうがいい。考えると、自分は無力だとか、一人の時間の過ごし方が充実してないとか、打ち込めるものがないとか、自分否定にいってしまう。これは考え方の癖だから、気がついたら、やめることにした。私が無能か役立たずかどうかは考えたところで、今すぐ私が劇的な変化をするわけじゃないし、それに、それが本当のことだったとしても、そこにエネルギーを注いでも、気分が落ち込むだけで、いいことがない。

自分のことをあんまり分析しない。こねくり回さない。

 

寝室のステレオをテレビと同じ台にしてすっきりさせた。

ベッドに寝っ転がって、テレビがみられる。夜が楽しみ。食後、息子と二人で居間にいるわけだが、なんとなく、同じ部屋にいる空気感を壊してはいけない気がしてそこに止まる。テレビをつけながらそれぞれiPadiPhoneを覗いて、時々テレビにツッコミを入れながら笑う。これはこれでいい時間でもあるけれど、お互い、自分一人にサクッとなれるタイミングを探すときもある。これからは、当たり前のように、夕食後はこの部屋にきて、横になろう。なんでも換気よく。

今日は息子がバイトに出ている。朝、カレーを作ったが、そういえば、バイトのときは昼、いつもカレーを食べていると思い出した。別に、昼夜カレーでも文句は出ないが、そうは言ってもなぁと思い、冷蔵庫のありあわせで、夕方、ナゲットと鯵フライを揚げた。木綿豆腐半丁と鶏むね肉にブロッコリーとグラタンの具の残りのジャガイモとホワイトソース。全部包丁で細かくミンチにして、卵と小麦粉でつないで、コンソメを少し入れて、ぽとぽとスプーンで油の中に落とす。

フライって、家事をちゃんとしてるっていう気にさせてくれる。台所に揚げ物の匂いがしてくると、今日は不毛な1日になりそうだと思っていたのが、9回裏で挽回したようで、よしよしと、自分を認めてやれた。

家族のために食事を作ることが自分を支えている。息子が巣立ち、夫がいなくなったとしたら、私は自分のために料理をするだろうか。怪しい。

 

息子がバイトと授業とサークルの三本立てが始まったばかりで疲れているようだ。

喉が痛いと言っている。二日前から、乾いた咳も出ている。おそらく、疲れ果てて一階のリビングで眠ってしまうから、風邪を引いたのだと思う。

「咳が止まらない、医者に行こうと思うんだけど、唯一行ける水曜、休みなんだ」

今はまだ熱もないし、医者に行くほどではない。風邪薬を飲みながら、よく食べ、早く眠ることを心がければゆっくり快方に向かうから大丈夫。と返事をしたら

「無責任だ。気管支炎かもしれない。」

と怒る。気管支炎なら、今、こうしている間も咳が止まらないはず。食欲はあるし、テレビを観たりスマホを覗いているときはコンともしてないではないか。と思ったが、喧嘩になるので黙る。

「どうしても心配なら、金曜日にいけばいいじゃない」

「それまでに悪化したらどうする」

そんな馬鹿な。そんな心配をするなら毎晩二階で寝るほうがいい。

「大丈夫。様子を見てても、そんなひどくなりそうもないもん。よく寝ることだよ」

と言ったら急に大きな声でこう怒鳴った。

「なんだよっ。人が心配してるのに、もう少し考えてくれてもいいだろっ。俺のことなんてどうでもいいんだろっ」

「ちゃんと考えてるよ」

「じゃ、なんでそんな冷静なんだよっ。心配してないじゃないか」

だって心配ないってわかるんだもん。

どうも、あら、大変、どうしましょ、お医者さん探さないとっていうような対応を求めていたらしい。でも、どう見ても、心配ない。

「わかったよ、俺なんかどうでもいいんだろ、いいよ、もう!」

・・・・なんだと。

ついに私は怒った。大抵のことでは怒らないしやりたいようにやらせているけれども。

なんだと。俺のことなんかどうでもいい、考えていない、と・・。

「本気でそう思ってるの?」

「だってそうじゃんかよっ」

「今すぐ、この部屋を出て行って。お風呂が沸いてるから、ゆっくりあったまってきなさい」

どうやら、私を怒らせたようだな。息子。