ビックリ発作
体調があまりよろしくなく、今朝急遽予約を入れて病院に行ってきた。
昨夜発作をおこし、もうこれは大変なことが起きたに違いないと急いで診察を受けに行ったのだが、先生のお言葉は一言
「消化がまにあわなかったんですね」。
体が弱っているときに元気になろうと肉やら揚げ物やらケーキやらと食べてしまったのがいけなかったらしい。
「体重がまた減ってきたので、パワーつけないとと・・」
「それができる身体とできない身体があるんですよ、何事も無理はいけません」
無理だったか・・・。一遍には・・・。
これからは、ケーキならケーキの日。フライならフライの日、肉なら肉の日と分けて食べることにしよう。
暮れに向けて誘惑が増える。ワインなんか飲んで頭のネジがゆるむと「ま、いっか、今日だけいってまえ」となることが予想される。危険だ・・。
自分の価値を知るには
「兄を見習って中身のある人間になれ」
ドラマの中に出てきた台詞にドキッとした。まさに私が言われ続けてきた言葉じゃないか。「あなたも少しはお姉さんみたいにもっと中身のある人になりなさい」。
ドラマの中の青年はヘラヘラ笑ってそれを交してきたが、心の内ではずっと親に兄に認められたいと思っていたのも同じ。
私もどうにか認められたいと自分以上の人に見てもらおうと、背伸びをし続けついに死にかけた。
このところ母との関係も落ち着いていたので、凍結していたことが久しぶりにダイレクトに画面からぶつけられた。かさぶたがうずく。が、どこか、もう他人事のようにも思う。
わかるなぁ・・・。それでも若干の感情移入をしつつ見続けていた。
するとそこに力強い文字で、その話を聞いた主人公の祖父からファックスが届く。
「そいつがダメなのは 結局勝つことにこだわっているからだ 大切なのは勝ちより価値だ」
ガーン。
まさに。私はどこかでいつも姉に勝とうとしていた。
姉にできない何かはないか。
たいていのことは叶わない。だからいつだって自分に満足できなかったのかもしれない。
勝より価値。
自分の価値を知ることの方がずっと大事なこと。
確かにそうなんだが。
ずっと自分に価値とかそんなのなないんだと決め込んでいたので、今更理屈で理解できても頭の方がついてこない。
体や心に染み込ませるにはもっと難しい。
近頃それでもやっと「そんなに全然ダメってことはないんじゃないかな」とうっすら思うようになってきたところだというのに。
「トンさんがいなかったら生きていけない」
夫がそう言ってくれても自信へとつながらない。ちょっと大げさに言ってるだけだと思う。
誰かが言ってくれても私自身が納得しない。
私は価値ある人間である
根拠なくそう思い込めるには まずは自分のことを溺愛することからはじめようか
自分を溺愛
それってどうやるの?
今のワタシといちばん仲良く
母が太ったと気にしている。
夏から体重が増えて戻らないらしい。
「結婚してから体重と洋服のサイズか変わらないのがずっと自慢だったのに。ずっと7号だったのに、もうダメ。どの服もお腹のところがプクって。」
「いいじゃないのおばあちゃんも晩年はそんな体型だったじゃない。いよいよ老年期に入って長生き体型に変化しているんじゃないの」
言いながら「102までいくのね。この人も」とおかしくなる。
乙女は昼御飯をクラッカーとチーズですます。「朝ごはんが遅かったからお腹すいてないもん」
7号が小さくなったなら、どんどん素敵な9号サイズを買えばいいじゃないか。
そうは言っても私もやはり未だ大きく減少した体重に抵抗がある。
頬がげっそりした自分の顔がスーパーの鏡に無防備に映っているのを見るとゲンナリしてしまう。
そしてかつて着ていた9号の一張羅スーツを、いまだ未練たらしく持っている。
また似合うようになるかもしれない。
いやいや、そんな日はもうこない。それよりさっさと今の体型と仲良くなって、それなりに似合う服を探した方がよっぽど生活が楽しくなる。
どうして我々は昔の自分にしがみつくんだろう。
単にお金が惜しいのか。出費の問題ならもっと別のところでもキツキツ節約しているはずだ。
夫の服のサイズが変わったら「あらぁ不経済な人ね」と軽口叩きながらも迷わずさっさと大きなものに買い換える。
おそらく昔の自分への執着があるのだろう。そのサイズを着ていたときの自分が一番輝いていたと思い込んでいる。
だからサイズが変わることは現役じゃなくなる、輝きから離脱したと捉えてしまう・・・のではないだろうか。
私に関してはそうだと考える。
母と話した余韻から、クローゼットに遥か昔の一張羅を隠し持っているのが馬鹿馬鹿しくも思えてくる。
あれ、処分しようかな。