愛らしいということ
昨日、映画を観に行った。
鎌倉物語。堺さんがCMで「観終わった後、心があったまることをお約束します」と言っているのに誘われ「観なくちゃ」と思ったのだ。
ただ、ピン!ときたので行くだけ。と自分の熱量が大きく膨れ上がらないように淡々と出かけていった。
約束どおりだった。疲れたココロをやさしくやさしく揉み解してもらったような、強い感動ではなくてじんわりと効いてくる心地よさ。期待以上だった。
隣には60代くらいのご夫婦がいた。すぐ左に座っている旦那さんのさらに向こういる奥さん。彼女は予告が終わり本編が始まっても始終、ポップコーンを食べている。ガサガサ、ポリポリ、絶え間ない音と、動作と、匂いが気になって、少し尖った気持ちで身を起こし、二人の様子を伺った。
奥様というよりは、気のいいおばちゃんという感じの彼女は、わたしの視線などまったく眼中にない。すこしはなにか感じてくれよぉ。
二人はまったく気にも留めない。
旦那さんも「おい、少し静かにしろよ」とか言わないんだなぁ。
見ると若い恋人同士のように、幼児が砂場で使うようなバケツのくらいの一番大きなサイズのポップコーンとコーヒーを二人の間においている。その中に手を突っ込んで夢中になって画面から目を離さない奥さん。ときどき、夫のほうにむかってなにか嬉しそうにはなして、また前をむく。その横ですこし遠慮気味にバケツから一握り、つかみ出し、掌から一粒づつゆっくり食べる旦那さん。
そこは二人の世界だった。あぁこの二人は家でもこんなふうにテレビをみているのかもなぁ。
わたしは身体をもどして、あきらめた。彼女が真横でなかったことは幸運だった。なんでも思い通りにいかないことが、こんなことでよかった。これでなにかの大きな災難を避けたかもしれないもんな。
このスピードで食べていればいくらバケツサイズでも、いつかは食べ切る、それを待とう。
次第に私も映画にのめり込んでいき、気がつくとクライマックスを終え、作品はめでたしめでたしのほんわかとしたエンディングになった。
よかったなぁ。いいもの観たなぁ。
ふと彼女はどうしているだろうと目をやると、知らない間に前の椅子に両手をかけて、身を乗り出していたおばちゃんは、腕で目をこすっている。泣いているんだ。
そりゃたしかに、心温まるいい映画だったが、わたしはファンタジーの世界にそこまで感情移入していなかった。監督もそこまで心揺さぶる泣ける感動ものを狙ったのではなく、堺さんの言う通り、観終わった後、やさしい気持ちになる、そんな作品にしたいと思っていたのではないかというような世界だった。
何度も何度も涙を拭いたあと、旦那さんのほうを振り向いて「よかったねぇ」と笑うその仕草がなんとも愛らしくて、むしろわたしはそっちに心を揺さぶられた。
ああ・・・ご主人は彼女のこんなところが好きなんだなぁ。
かわいらしかった。そのかわいらしさにわたしもやられてしまった。
さっきまでの尖った自分が、おばさん臭くて恥ずかしい。
あのおばちゃんのプニュプニュした腕と涙と笑顔は天下無敵だ。