お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

おさつ

さつまいもを蒸した。安い、細いさつまいも。ポキって折ると繊維のスジがニョキッと出てくるような、細い芋。

この根っこのような形態の芋こそ、同居していた父方の祖母の好物だった。この季節になると一袋買ってきて、一気に蒸して、テーブルの上にドンっと置く。平らな皿の上に、どかどかどかっと盛られた芋たちは、最初は湯気を立ち上らせ、美味しそうだが、次第に、細いねっとりした棒のようになる。甘くもなんともない。

しかし、それを祖母は愛した。戦時中、本当に何にもなかったとき、おさつだけはあった。この味だった。こんな芋だった。母が気を利かして買ってくるホクホクのねっとりした上等なのよりも「やっぱりこれだ」と好んだ。

台所を通るたび、ぽきっと追って、3センチほど、お茶と一緒に食べる。筋がたくさんあるから、長く口の中で咀嚼して、ゆっくりゆっくり食べる。あんまりゆっくりだから減るのもゆっくり。皿の上にたくさんあった芋たちは、いつしかタッパーに入れ替えられ、冷蔵庫に収まる。すると、今度は台所に来るたびに、冷蔵庫の扉を開けて、タッパーを開けてまた、3センチほど折る。

うちの冷蔵庫にはこの季節、いつもあちこち折れた、食べかけの芋の入ったタッパーが入れてあった。

最近の店ではどこでも立派なつやつやしたお芋が並んでいる。たまに珍しく細いのを見つけると、つい、「買わねば」と思ってしまう。

いつもいつも母方の祖母のところに通っているので、今日は細い芋をたくさん蒸した。

忘れてないからね。おばあちゃん。

母のところに持っていき、数本、仏壇に上げてもらった。

残りはしばらくはうちの冷蔵庫で収まる。仕方がない。私がポキポキ折って食べよう。

台所に来るたびに。

ゆっくりゆっくり噛みながら、おばあちゃんのようにお茶を啜ろう。