お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

景色が変わる

今日もフラフラとリハビリ散歩。家の中にいると、よし、もう大丈夫と不具合をあまり感じないのに、やはり歩き始めると、ゴール寸前のランナーのように足が疲労しているのがわかる。家を出てすぐに、気力で歩く妙な散歩。

それでも日曜日の公園はいい。みんな機嫌がいい。その波動が自分にも移る。

何かに参加した気分になる。

今日はいつものコースを逆に進んでみた。いつもの坂道が下り道。スタジアムもベンチの並びも見えてくる景色が少しずつ新鮮に映る。

私がいつも歩いていたのはこんなところだったのか。

 

まるで母との関係のようだ。

視座が変わると、母が私になんと言おうと、それは二歳児の子供が駄々をこねているように見える。なんでも知りたい。なんでも思う通りにしたい。なんでも話したい。構って欲しいけれど、指図はされたくない。

いい子だねって褒められたい。

なんのことはない。私がずっとして欲しかったことじゃないか。

私と母はこの「くすぐったいほど大真面目に愛してもらう席」の取り合いをしていたのだなぁ。

 

帰ると母が防災の5年保存可能の非常食の餅をたくさん持ってやってきた。

「あげるわよ。美味しくないの」

美味しくないからくれるのかいっ。

「でもいざという時のためにとっておけばいいじゃない。風邪の時とか」

「もう、賞味期限過ぎてるの」

見ると半年過ぎている。

「じゃ、ダメじゃん」

「大丈夫よこれっくらい」

「じゃ、とっておけば」

「わたしは嫌。美味しくないもん」

はいはい。いただきます。