お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

休養

レバーの力はすごい。6時起床で息子を送り出したあと、今日はいけるかもと、雨の中を歩いてきた。8000歩。やはり安心する。

昨日、出かけたものの、どうにもだるくて、買い物をして帰ってきてしまった。帰ってから歩数を見たら3500歩。まぁまぁ。1日くらい大丈夫。今日は休養、休養。と自分をなだめて納得していたつもりだった。そして、今朝の調子の良さを感じて、あぁ、これで休むということを覚えたなと思っていたのに。こうして今朝、隙あらば歩いて、帳尻を合わせようとする。真面目なのか、バカなのか。

掃除機をかけるとき、しんどいときに隅っこのところを丸く、かけないで済まそうとするのだが、こころの声が「誰にもわからなくても、そこをズルしたことはお前だけは知っている」と響く。

母が自分が書いたハガキを、買い物に行くときに一緒に出しておいてともってきた。やはり、彼女と会話をするときは緊張する。自分がパワーダウンしているときはなおさら、それを悟られまいとテンションを上げて早口で話してしまう。

「寒いから、お母さんも体調崩さないようにね」

それは本心なのだ。だが、同時に心の奥底で、自分が絡め取られないよう、母の圧力に負けないよう、不用意な一言に心の安定を壊されないよう、警戒し、言葉を選ぶ。

どこの親子もこんなものなのだろうか。

人は変えられない。私の反応や発想を変える方が希望がある。愛を。愛をもって何事も選択していけば間違いないはずだ。

疲れたらその発想が浮かばない。やけっぱちになってしまわないよう、自分をなだめすかしながら、やはり体は厭わないといけない。歩数の帳尻があったところで、心に余裕なくギスギスした暮らしをしても悲しくなるだけだ。

一日、あったかくして家で読書をした。テレビはつけず、ひたすら本を読む。

まとまった時間、久しぶりに没頭した。

明日は午後から少し晴れるそうだ。じっとしていられるだろうか。