お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

母と話す

今朝、嬉しそうにリュックを背負った姿を庭から見せ、母が旅行に行った。

「楽しんでおいで」

「ありがと」

 この旅行、近所に住んでいる従姉妹の中学の同窓旅行なのだが、一人、欠員が出たとかで、ツアーのキャンセル料の都合上、人数を減らすわけにいかず、母に参加しないかと誘いがあったものだ。当然、母の知らない人ばかりの中に、知り合いはその従姉妹だけなのだが、彼女は行く。

「私なんかが行っていいのかしら、やだわ、図々しいって思われたら」

 とは言っているが、「でも、私が嫌いだったら声をかけるわけないって従姉妹に言われたの」と前向きだ。こういうところはDNA的に母と祖母は似ている。

 母が祖母と決定的に違うのは、心配性と完璧主義なところである。ごめんなさいが言えない。主に子供に。

息子がまだ幼稚園だった頃、私が自分の機嫌の悪さから、いつもなら笑って許す程度のことを、叱ったことがあった。トゲトゲした気持ちをなかなかおさめることができずに、食器やドアの開け閉めを荒々しくした。翌日になって、あれは、よくなかったと反省し、息子に謝った。それを息子から聞いた母はすっ飛んで来て、母親が自分の子供にどんなことがあっても謝ったりしちゃいけない。と私に言った。

これは私とは異なる考えだ。

 昨日、老人ホームからの帰りに駅の構内の中にあるパン屋で休憩をしながら話をした。昔のアルバムを見たからか、自分の昔の姑と夫の間でした苦労話をする。もう何度も聞いた話なのでふむふむと適当に相槌を打っていたが、

「だから、私があなたに口を出すのは、そうやってお父さんとお義母さんたちが情が薄い人たちだったから、埋め合わせてあげないとってあれこれ世話を焼いてあげたのよ。言い訳させてもらえば」

と言い出した。

それはよくわかっている。母も母の人生を一生懸命やって来たのだ。その時その時、それが一番いいんだと思った選択をして進んで来たんだ。そして、私は私の人生を生きている。母の人生の途中から絡まって、今は自分で自分の選択で進んでいる。

「だからさ、お母さんは反省とかしなくていいんだよ。一生懸命生きてここまで来たんだから。私も私。あなたもあなた。お互い、別々の人生でこういう風に生きるってプログラムと課題をただ、乗り越え乗り越えここまで来たのよ。あの私たちの間に起きた悲劇もそれぞれのプログラムよ。それだけよ。」

ベラベラ喋っていた母の口がピタッと止まり、珍しく私の話を聞いていた。

「まぁ、私も、この歳になって今更、どうしろって言われてもできないけど」

「どうしてくれるんだなんて言わないよ。恨んだ時もあったけど、今は全くそんな気持ちはないよ。見捨てず投げ出さず、育ててくれたことに感謝してる。これは私の課題だったんだよ。私がもう少し早くあなたに反抗してバッサリ切り捨てるという選択をしてればまた違った展開になったんだろうけど、思いつく勇気もなくて、あなたにしがみついてたってだけの話よ」

別々の人生と強調しておいた。が、母はなぜか機嫌よくなり、その後もどうでもいい友達の悪口をベラベラ喋るのだった。

今日、私はどっと疲れている。

でも小さく一歩前進できた。

今日は家事もせずに休もう。敵は、明後日、また盛りだくさんの話を抱えて帰ってくる。