強くなった私
体調がだいぶ楽になったので、今日は散歩行こうかと思いながら、だらだらと過ごす。
キンドルで面白そうな本を6冊ほど、サンプルをダウンロードして、気の向くままに読む。その中に心理学者の本があり、辛い時の心の持ちようをかいているものがあった。
この先生のものは本当に辛い時、何冊も何冊も読んだ。あれだけすがるようにして追いかけた作家なのに、今日は、なんだかしっくりこない。作者本人も若いころ、相当、家族のこと、自分の性格のことで苦しんだ人だ。ほんの数年前は、それこそが、自分の心の痛いところを上手に撫でてくれて癒されてホッとした。
今日、この人の本を無意識のうちに選んでサンプルをダウンロードしたのは、きっと体力が落ちて気持ちも少し弱っていたのかもしれない。
またこの人に撫でてもらって元気になるつもりだったのだろう。
それが、どうしたことか、どの本もどの本もピンとこない。むしろ、何か被害者意識の強いものの言い方だなと、嫌悪感を抱いた。
結局、全部、削除した。
育てられている時に、こういう目にあったからとか、こう言うことを言われ続けてきた人たちはとか。
ちょっと前は、そうなの、そうなの。やっぱり恨んでもいいよね。って言う風に、読みならが自分がかわいそうで、泣けてきたのに。
それだけ、自分の心に強度が増したののかもしれない。
最近、なんでも、それだけのこと、と思う。
いいことも。嫌だと感じることも。人も。自分も。
ただ、それだけの物事が起こり、それだけの人がいる。私も含めて。
地球の中に。宇宙の中で。
起きて、消えて。生まれて、死んで。
循環している中に溶け込むように。
などとぼんやり思いながら、日当たりのいいところに持って言ったイケアの椅子でうたた寝をした日曜の午後。