お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

取り扱いがめんどくさい

今日の敬老の日、うちの場合、ややこしい。状況は実家と完全分離型二世帯住宅。中扉で繋がった実家には77歳の母と51になる姉が住んでいる。

私がセッティングして母をよべば、喜んでもらえるかといえば、違う。姉が働いているので、夜の時間に間に合わず、抜きにこちらで祝うと、姉も機嫌が悪くなるし、母もかわいそがる。

あなた一人、いい子になってもお姉さんの立場がないでしょう。そんなことやらなくていいわよ、あなたには無理なんだから。

姉に直接、日にちをずらすからといえば、急な誘いや残業が入るから約束できないという。「第一、あの人は母で、我々のおばあちゃんじゃない」。確かに。

そこまでのやりとりがあって、私が一人勝手にあれこれやるのも角が立つ。

何度かそんなことが続いて、私たちからは特に何もしない年が続いた。

「うちなんか、誰も祝ってくれやしないわよ。こんなに近くにいるのにそんなもんよ」

電話で誰に向かってか知らないが、そう言っているのを聞くと不本意というか、悲しいというか、まさにモヤモヤする。やって欲しいの、欲しくないの、どっちなのっ。

今年は。やりたいように、やる。私が、やりたいように、する。

まずは本当のおばあちゃん、敬老の敬老、100歳の祖母のホームに行く。母に、私は行くけど、行きたいなら一緒に行こうと言うと、弟夫婦が来てたら顔を合わせたくないから行かないという。じゃあ、私もよすわというのがこれまでの流れだが、もうそれはしない。今日は、いく。この前転んで後頭部を打ったと聞いたのも気になるから会って様子を自分で確かめたい。

そう、じゃ、私は行ってくるわ。

一人で行っていい子ちゃんになろうが知ったこっちゃない。会いたいから行く。それだけ。他意はないのだ。

 

さて。うちの老人はどうしようか。姉は今日も遅いらしい。息子は七時半頃に帰宅する。私も外出した後、頑張りたくもない。

駅で箱寿司を売っていた。母の好きなバッテラがあった。これにしよ。

母に電話をする。

「バッテラ、食べたい?」

「え?・・・そうね・・食べてもいいわね・・」

「じゃ、買うから。今晩こっちで、食べる?」

「え・・」

敬老の日、買って来たバッテラと孫の笑顔がプレゼント。たまには一人で食べにくれば?」

「え・・・そうね・・まぁ、いいわよ、行っても」

これがうちの敬老の日

スッキリスッキリ。あぁスッキリ。もてなしは息子に託す。