ただの毎日の中で。専業主婦の 平和すぎる日常

自分の思っていること、ちょっと引っかかったこと。誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

身を置く場所を選ぶこと

朝の散歩。今朝は雨上がりの道を歩きたくて、公園のジョギングコースではなく、家の前の遊歩道をまっすぐ進む。

昨日の大雨と雹にやられてしまった花や枝。「大変でしたねぇ。大丈夫ですか」と例によって怪しく心の中で語りかけながら空き地に咲いているのを眺めていた。花というのは気をつけて見れば見るほど、無限のデザインがある。人もそうなのだ。どうして飛び出て違うことを恐れるのだろう。

コンプレックス。体が弱くて体力が極端にないこともそうなのだが、もう一つ、私は容姿にも自信がない。よくある話と言われてしまえばそれまでなのだが、思春期になったころ母に、「本当に鳩胸でっちりで、何を着せても垢抜けない」と 服を試着するたびに言われていたことが根っこにあるのかもしれない。

大学になって男の子から交際を申し込まれても「美人じゃ緊張するから、あなたみたいに鈍臭い方がいいおもちゃになるんでしょうよ」と言われた。結婚し、出産し、息子が中学入学した年の春、倒れた。げっそりしても骨格は変わらない。もともと骨太なのが痩せるとガイコツみたいになった。

「あなた、そんなガリガリでコウちゃんの学校、行くの。一緒に歩いてないでしょうね。そんなお母さんじゃ、みっともなくて友達の手前コウちゃんが気の毒よ」

まさに、鬱真っ盛りで死にたい願望の強かった頃、これはこたえた。よって、もはや自信を持つという可能性は非常に難しい。夫や息子が「そんなことない、気にするな」と言ってくれても、いたわりの言葉をかけてくれているのだと思ってしまう。

そういうわけで私は一人で歩くのが好き。

へんてこりんな花を見つけると嬉しくなる。「え、私、へんてこりんですか?これが私ですが。」ときっぱり咲き切っているそのツンとした感じに憧れる。

 

いつものアスリートが走っている早朝の公園を離れて、8時過ぎの日曜の遊歩道はのどかだ。犬の散歩をしている人が歩く。大学の寄宿舎の落ち葉を掃いている管理人のおじさん。部活なのか制服を着て駅に向かう高校生。

ここでは私の遅い歩みも自分で気にならない。そうか。身を置く場所を選ぶことも知恵の一つなんだな。よりによって早朝、ジョギングするような健康優等生と健康に自身のない自分を照らし合わせていたのだからプラスとマイナスで隔たりは大きくなるに決まってる。我ながらどうしてそこに気がつかなかったのかとおかしくなった。

母のそばに身を置いて生活する私は、未だにちょいちょい囁かれる呪いの言葉で自分が醜く、無能だと思ってしまうが・・・そうか。そういうことか。

それで私は自分のテリトリーにこだわるのかもしれない。

自分で自分を立て直すカプセルのような場所を求める。

散々ボヤいておきながら綺麗事に聞こえるかもしれないが、今、母に恨みはない。ぐっと距離を置くことにして初めはいろいろあったが、それもだいぶ、お互い馴染んできた。そばにいると苦しくなるのは、どうしてもそのままだが、親子でも相性というものがあるのだ、悲しいことではないと自分に言い聞かせていると、後ろめたさも薄れる。

なんだかんだ言っても、こうして呑気に散歩して、花が綺麗だの、IKEAで新しい椅子を買ったのと喜んでいる、今のこの私にたどり着くには彼女との関わりと葛藤なくしてはありえなかった。

産んで、無事、大人にしてもらった。よく投げ出さないでくれたと思う。

ぶらぶら歩いて、また氏神様に辿り着く。

やっぱり願い事はしない。

 

神様。ここまで導いてくださってありがとうございます。これからもよろしくお願いします。私は察しが良くないので、神様どうぞ、これならわかるだろってくらい、わかりやすいサインを出してお導きください。