お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

愛の形

このブログを書くようになって、いろんな方のブログも読むようになった。本当に言葉通り、いろんな生活があるのだということを知った。考え方も。

誰もが、健気に自分の人生を生きている。

私は自分が母に容姿のこと、能力、体力、落第点を付けられてきたので、自分だけが悲しみとともに生きているような気がしていた。

特に5年前、体力がないのに無茶をし続けたことがたたり、倒れて危篤状態になり、その後、長いこと鬱状態に苦しんだ経験の後は、その傾向が強かった。

私は特別に苦しんでいる。そんな風に思っていた。

そうじゃない。

そうじゃないということがやっと、わかった。

あれほど私を苦しめる母も、心の底で抱えている塊があるに違いない。私にはそれはわからないし、母の方も、まさか私がそこまで母を拒んでいるとは思っていない。

それでも、わからない壁の上空には、愛がある。

空を見上げてこなかった。地面だけをいじいじを見ていたから、気がつかなかった。

私の事を自分の一部と思うほど、気になるから、思い通りにしたい。諦めきれない。会話がしたくてつい、容姿をからかう。自分は親だから何を言っても大丈夫。その関係に甘える母。手放せない母。

愛されたくて認められたくて、頑張るけれど、いつまでたっても認められず、ついには離れたくなる私。死にかけて鬱になっても、諦めきれず、いい娘であろうと関係を模索する。

苦しい関係。

その上空には愛があった。

それが救いだ。

うまく愛せない者同士。

私は、愛されている。多分。大事にされすぎているのだ。

辛い言葉を言われたら、「私が好きなのね」って心の中でフフッと思えるようになるかしら。

なりたいなぁ。やってみよう。