お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

あれこれ思う月間

どうも考え始めてしまう月間のようで。

私には時々、こんな波がやってくる。これでも波はだいぶ穏やかに、生活と並行するくらいのものになってきたけれど。まだ、ストンと腑に落ちていないものが残っているらしく、それらがムクムクと大きくなって私の前にゴロンと落ちてくる。

私が自分を完全に強硬に疑いなく、肯定できるようになるには。

やっぱり、母を慈しむ気持ちを育てるのが一番近道なのかもしれない。

自分に大きな影響を与えてきた人だから、私を構成した人物。その人を信用できていないのならば、自分を信用するのは難しい。

盲目的な信者のように母が大好きだった頃の自分は、不安がなかったが、それは、自分の物差しでなく、彼女の物差しに合わせていれば大丈夫と思っていたから。自分で考えないでいいっていうのは、とても楽だし、責任もないし、答えを知ってる人がそばにいるという、誤解ではあるけれど、その当時の私には真実だから、無敵。

でも、その分、不遜で、未熟だった。

いろいろ、苦しいところを通り抜け、今、思うのは。

私が息子に対してどれほどの母親だろう。愛情は誰にも負けない。でもその表現は確かなものだろうか。拙い母親をしている。私自身が、息子の成長に影を落としていないなんて言い切れない。すでに、詫びたい気持ちも抱えて彼と接している。

ただ、愛で、その時の全力で接してきたことをどうか、感じて欲しい。

それを頼りに生きて欲しい。

若かった母もそうなのだ。私が不器用なように彼女も不器用。毒のある言葉で私にあれこれ言うのも心配と照れと強い愛の裏返し。

ドッジボールのボールを近い距離から受け取ると、腕や胸にジーンとした強い痛みがあるように、精神的に近い距離で受け取った言葉は痛い。

遠くから受け取ったボールは勢いがあっても、手元に来る時は少し衝撃が柔くなるように、私も知恵をつけて離れたところから彼女の指摘を受け取れば、もう少し衝撃も事故も小さいものになったはずなのだ。

強い愛は痛い。母の愛は強すぎる。

それでも、確かに私は愛に囲まれて育った。思い返す辛かったあのときだって、そこの根底は愛だったのだ。

 

そうやって育てられた私がダメになるわけない。

 

 流れるようにここまで来たのは、正しい道のりだったのかもしれない。

あのときああすれば、こうしておけば、は、無くて。この道筋こそが脚本通りだったのかもしれない。

小説の主人公は、何度と無く襲ってくる葛藤に飲み込まれそうになって、ラスト、50を目前に、はたと夢から覚める。

あぁ、私はいつの日も愛に包まれていたと。

そして、背を向けていた家族にまた、向き合っていく。

・・・なんて筋書き、かもしれない。