お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

これでいいのかしら足りてるかしら

朝、息子の食べたもの。

小さめのご飯茶椀二つ。一つは昨日のカレーの残りにチーズをかけて焼いたもの。

もう一つは温泉卵と鰹節をかけて上から醤油をかけたネコマンマ卵ご飯。

それとイチゴ5個とミニトマト3個とヨーグルトとヤクルト。

スライスチーズ一枚と卵一個がたんぱく質。足りてるだろうか。

昼はおにぎりだけだから、夜、お肉をしっかり食べさせよう。

肉、肉、肉。

毎日それが頭の隅にある。

 

息子の身長は164センチ。大学一年生の男子としては小柄だと思う。

高校3年の入り口あたりは160センチギリギリで、ハラハラしていたから、ここまで大きくなって嬉しい。

自分の好みではない。息子自身が、同世代の仲間の中で小さい自分をコンプレックスに思うことが心配だった。陽気そうにしていても、時折、そんな風なことをつぶやいていた。

私のせい。

その思いが離れない。

息子を授かった時、心身ともに弱っていた私は満足に食事が取れなかった。あんまり取れないものだから、やっとの思いで食べるとすぐお風呂に入って血の巡りを良くして、彼の元になんとか届けようとしていたくらいだ。

「ほら、今、栄養送ったからさ。しっかり身体作るんだよ。遠慮しないで、いるだけ持っていってね。耳とか、目とか、細胞とか、作ってね。」

一人、湯船の中でブツブツ語りかけていた。

幼稚園の頃、小学校低学年の頃。一番身体を作っていくときに、私は必死で台所をこなしていた。気力だけの家事。食卓に上るものも、焼き魚、オムレツ、焼きそば、カレー、生姜焼き。ドカンとボリュームのあるものを出してやらなかった。長時間立っていられないのでハンバーグや餃子など、相当覚悟しなくては作る体力がなかった。

要領も悪く、体力もなく、自分に自信もなく。

息子の基盤をしっかりとしたものにしてやれたのか。やれていなかったのではないか。そこまで思いつめることはないのか。みんな、どこの家庭もそんなものなのか。

あの頃の記憶がないので、本当にわからない。

でも母として本能的にせめて、わずかながらも動けるようになってきた今。充分なことをしたいと思う。

息子のためなのか、自分のためなのか。

毎日息子と二人で食卓に並び、彼の方にはお肉を一品、多く出す。そっとベビーチーズも置いておく。きんぴらには豚肉を入れる。

それを気づかれないように横目で見て食べる。多すぎて持て余している時、「食べてくれぇ」と念じつつ、チラチラ、そっと見る。持て余しつつも完食すると「よし」心の中で握りこぶしでガッツポーズ。

ダメな時は「頑張って食べて」と言いたいのをこらえて、

「多かったら残してラップして冷蔵庫入れておいて」

と潔く引き下がらないと、お互い意地になる。

今朝もミニ茶碗二つという朝食を彼が平らげると、ホッとしつつ、これで足りてるかしらとモヤンモヤンとする不器用な母。