お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

自分軸へ

昨日の夕方、雨のなか近所の知人が寄ってくれた。買い物に行く途中に我が家の単身赴任生活をどうしたかと見に来てくれた。

息子と祖母の喧嘩のやり取りをかいつまんで面白おかしく言う。

愚痴ではなく笑い話のつもりだった。

「そういう時はうちにおいで。明日、午前中おいでよ。お昼用意するから。話聞くよ」

彼女はいつもそう言ってくれる。ありがたい。「ありがとう。」

けれど、私はきっと行かない。昔からそういう癖がある。

自分の抱えているモヤモヤを人に言うことができない。

一人で処理できているのでもないけれど、言ったところで結局自分でどうこうするしかない、所詮、私のことだし。

高校大学時代の仲の良かった友人に

「いつも後からこういうことがあったって聞かされて、悩んでいる時は話してくれないんだね」

と言われたことがある。その時、初めてそのことに気がつき、それはとても冷たい人間だと指摘されているようで混乱した。これからは自分が辛いことを実況中継のように共有しないといけないな。親友ってそういうものだよなぁ。

恋人のこと、デートで何があったか、何が嫌で何が嬉しかったか。進路のこと、この前あの大学って決めたけど、やっぱりこっちにする。意識して話すようにしているうちに、だんだん現実と報告のズレがたまったり、自分の心のずるさや矛盾に向き合わなくちゃいけなくなったり辛くなってきた。清廉潔白を良しとしていた若い私は、人に話せる自分であるよう人生の駒を進むようになっていった。

誰に見られても恥ずかしくない生き方。

終わりのない母からの批判にブチ切れる事が出来ず、心を病んだ。母の期待に応えていい娘を本気でやった。陰ひなた無く、心の中からいい娘であろうと努めた。

誰に見られてもいい娘さん。

 

私は父親っ子だった。

お父さん。今でもこの単語を打つために頭の中にこの響きが浮かんだだけで、脳の中心部がきゅっと熱くなる。

お父さんはお母さんが大好きだった。母自身、それを承知していた。言うことを聞かないときは父に報告する。父は「僕はお母さんの味方」とだけ言って、喧嘩の仲裁はしない。ドロドロしたところには入ってこなかった。迷惑そうだった。「お父さんは可愛げのない女は嫌いよ」母の最終兵器だった。

母と二週間も三週間も口をきかないのは全く平気だったけれど、父に嫌われるのは嫌だった。父には愛されていたかった。庇護下に置いておいてほしい。だから可愛い娘に戻るのだった。歯を食いしばって折れた。母親を睨みつけ激昂する恐ろしい私を父の前にさらすことはできなかった。

 父が死んで18年。もう、父のせいにもしてられない。いつまで子供でいる気だよ。

 

「おはよう。昨日はありがとう。今日はだるいのでこれから二度寝します。気にかけてくれてありがとう」

今朝、彼女に7時にLINEした。また誘ってねとは書かなかった。本当にそうして欲しいとは思ってないからやめた。

無理をしたら行けた。心配してもらっている友人という役割をこなせた。単に気が乗らなくて、しんどかっただけ。

でもこのわがままなのが本当の私。ほっといて欲しい。気ままに過ごしたい。一人の時間も好きな人。

自分に嘘なく自分に見られてズレのない私を目指す。