お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

100歳の祖母のところに会いに行く。母と。最近、母と行動を共にしても、前ほど辛くはならない。長時間は苦しくなってくるし、全く無防備でいることはまだできないので、妙な疲れ方もするけれど、ずっと楽になってきた。

祖母は相変わらず元気。しゃかしゃか歩き回り、冗談もいい、ツッコミも入れ、お土産に持って行ったスイカに大喜びにかぶりつく。

やっぱり人は、上機嫌で生きていることが最上級なのだ。それさえできるようになれたなら、達人なのだ。

理屈じゃない。本能的に感覚的に。

 

息子の制服を捨てた。中学高校の詰襟、スラックス、ワイシャツ、ベルト、結構な量と重さだった。

ひとつひとつたたんで袋に入れながら、つい、しんみりしそうになる。いろいろあった。決して楽しいばかりではなく、悩み、苦しんだ時もあったし、親子で取っ組み合いの喧嘩もした。靴を隠されて親子で相談して私が学校に乗り込んだこともあった。卒業式にはなかった感情が溢れてきそうになったので、急いで詰めて、袋を縛る。

センチメンタルはいらない。今。今。今。今、だけ。

 

祖母は昨日のことはもう、忘れている。すっかり記憶にないから、彼女の中には事実は存在しない。

嫌なことも、嬉しかったことも、覚えていないというより、ない。

でも、今日もご機嫌。毎日が楽しいと言う。ここの施設の人はみんな優しい。ご飯も美味しい。どこも痛くない。幸せだという。

苦労の連続の人生を振り返ると、不憫になりそうになるが、そんなのいらないのだ。余計なことだ。

今、幸せよ。彼女はいつもそう言い切る。