隣の席
ドトールで本を読んでいました。
隣の席に中年のご夫婦らしき男女が座って、クリアファイルの中の書類をいくつかテーブルに乗せて黙っています。
ご主人はマスクをして、銀縁眼鏡。機嫌悪いのか眉間にしわを寄せてファイル越しに中の文書を見ています。
女性は注文していたケーキを持ってきたり、水を汲みに行ったり、落ち着かないというか、あたふたしているというか、まぁゆったりしてはいないなぁ。
この旦那、ゴミは出さないな。
きっと家でもこんな感じで、仏頂面で座って黙ってご飯が出てくるのを当然のように待ってんだろう。
マスクをしているその顔はシミがあり、土色にも見える。髪に白髪が混じっている加減と銀縁眼鏡から、死んだ父の面影と重なった。
父は癌で62歳で死んだ。
あぁもしかしたら。この仏頂面も良くない病気を抱えているのかもしれない。うちも母が病気の父をかばってあれこれと身の回りのことから何から、良く動いていた。そうやってみると、奥様のキュッと束ねた黒髪も、化粧っ気のない顔も、華美でないセーターと黒いパンツという姿も看病疲れのように見えてきた。
病院の帰りの休憩だろうか。あの書類も病状に関したデータか、入院準備のものか。
奥様が「そろそろだから行ってくるわね」と席を立ち、入り口のところで若い男性を出迎えた。頭を下げ、促しながら、連れてくる。
銀縁おじさんも、「どうもお世話になります」と頭を下げた。
医者じゃない。会話が軽い。
生命保険営業マンか。
もう胸が苦しくなって、これ以上追いかけるのをやめた。
本を読んでいると、笑い声が聞こえてくる。
「いやいや、もう、それは。信頼してますから。経験も豊富でしょうし。素人考えよりも、な。」
「えぇ、お任せして間違いないからって言われてますのよ」
あぁよかった、つかの間でも笑顔になって。和んで。
「キッチンは・・・」
「オール電化ってどうなの?」
「エレベーターが」
え。なに。家、建てるのか。よかったよかった。
ちらっと見ると、さっきの土気色がツヤツヤして見える。なんだか遠足のおやつを選ぶ子どもみたいに可愛らしく見えた。
希望があると、人は若返る。
生きるエネルギーになるのね。
私は勝手に自分の中で真実を発見し、納得する。
さ、もう帰ろうか。ご飯の支度もあるしな。
と思いながらも、あと数ページで切りのいいところに行くので読む。
「待合室は・・・」
「診察室は・・・レントゲン室と別でね」
「この前はさ、ちょっと狭かったじゃない」
え?え・え・え?
何、病院、作るの?開業医のおじさんなの、この人、奥様は院長夫人なの?その引っ詰め頭は。
「そう、この前より今度はもう少し広くしたいのよ。」
もう一度見ると、仏頂面オヤジの肌色はテカテカして、笑顔満面で、この世の勝者みたいに見えた。
保険の営業マンだった「私が来たからもう大丈夫」と言った感じの若い男も、今度はペコペコ、大きな仕事を任せてもらう建設会社の営業に見えてきた。
あと、5分。あと5分早くこの店を出ていたならば、あのオヤジさんは私の中で余命何年かの人のままだった。
妄想って真実じゃない。