ただの毎日の中で。専業主婦の 平和すぎる日常

自分の思っていること、ちょっと引っかかったこと。誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

父を想う

ママ友という言葉ではちょっと違う気がする友人がいます。

お友達です。

今日はその彼女の末娘の高校受験の合格発表の日でした。

「どっちにしてもラインで連絡するね」

そう言って別れたのが一昨年。

「仕切り直しです」ごめんと謝るカンガルーのスタンプが一緒に貼られ、先程連絡がきました。

「なんで謝るんだよ。全ては良い結果につながっていくんだぜ!」

本心です。全ては良い方向に行く途中の出来事。です。

 

ごめん。ダメだった。

このセリフを何度私は親に言ってきたことでしょう。その度に母はため息をつき、「本当になんであなたは。何やっても一発でうまくやらない子ね」と言いました。

そうなんだ。私は何をやってもダメ。何を着せても垢抜けない。お姉さんは本が好きだから興味を持つものも質が高いし、視野が広い。

くだらないことにばかり興味を持つ。

どんどん私の引き出しは私はどんな風にダメなのかを語れるだけの材料がたまっていくのでした。

「お前は本当に面白い奴だなぁ」

そんな私の馬鹿さ加減を面白がってくれたのが亡き父でした。いつも家ではジャズを聴きながら一人で難しい本を読むその人は、私がやらかせばやらかすほど、喜び笑うのでした。

この言葉で私は救われ

「そう、私はダメな子だけど、面白いの」

とケロケロして入られたのです。

 

「ごめん、ダメだった」

最後に父にそう告げたのは、初めての子供を流産した時でした。

結婚3年目に授かった命でしたが、ある日心臓が止まっていました。

「だからあれほど体を大事にしなさいって言ったじゃない。お母さん、いいのかなって思ってたもの」

母の言葉はまっすぐ突き刺さりました。私が殺した。そう言われているようで返す言葉もありませんでした。

「お父さん。ごめんなさい」

いつものようにジャズを聴いて本を広げている父のところに報告に行くと

「ま、なんでも初めからうまくはいかないさ」

とだけ言われました。

それから息子を授かるのに2年かかり、父は息子が2歳半になった秋、病気で亡くなりました。結果的にはギリギリ間に合ったわけですが、その当時の私は、自分の心の傷より闘病中の父に孫への期待を抱かせておきながら大きく裏切ったことへの申し訳なさの方が強かったのを覚えています。

 

今、私は彼女の心を思うと胸が苦しくなります。

娘の心を思い、これからのことを思い、痛みをこらえて母として平常を振舞っていることでしょう。

謝らないで。大丈夫。元気出せ。元気出せ。あやなるな。あなたは大丈夫?

 

そしてやっとあの時の父の心がわかったような気になったのです。

同じような想いでああ言ったのかもしれない。

「ま、なんでも初めからうまくはいかないさ」

この一言にすべてが詰まっていたのかもしれません。

力を抜け。人の心配ばかりするな。みんなに甘えてゆっくり休め。

 

お父さんに会いたいなぁ。