お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

全面肯定

お題「マイルール」

家族の希望にすり合わせてきた結果、基本、私は受信する人になっていた

ぼんやり暮らしている。

世の中には発信する側の人間と受信する人間がいるなぁと思っているが、厚かましくも自分は発信人なんだと信じてた。

いざブログを始めてみると、情報源としての発信者としての器には到底なれない。私はこうしてみると本当に空っぽだわぁ。びっくりなのです。

毎日の中でなんとなく思った事を書いて、それを誰か一人でも読んで受け止めてくれたら、和む。和むんですね。

それは多分、社会的な役割としてやってる娘、妻、母、友人、父兄というようなところから離れた自分がここで存在して、それを認知されるからなのでしょう。

なので、お題を求めてスロット回しても、これなら語れるっていう自分のこだわりがなくて改めて、驚いています。

基本的に、家族の中で、自分が引っ込めば平和になるのなら、それが好ましいという選択肢をしてきた結果だと思います。

このことは、深くいつか書いてみたいと思いますが、この思想はかなり私の魂を傷つけていたようです。ずっとずっと気がつかなく、40過ぎて死にかけて、ようやく軌道修正を始めたところです。

そんな私が、唯一、絶対譲らないこと。誰になんと反対されようと非難されようと貫いたことがありました。

よかった。なんか一つあっただけでも、救われる。

息子の進路、興味を持ったこと、は自分の不安を理由に意見しない

私自身、過干渉の母の元で育ち、それに飲み込まれて失敗したと思っています。母と揉めることが嫌なのと、母の言う通りにしないと、人生踏み外すことになるという不安から自立できなかったのです。

その結果、積極的に自分の好きなことを探求することをしないできました。

息子が思春期に差し掛かり、激しい反抗期に突入した頃、息子と取っ組み合いの喧嘩もしました。夜中まで話し合いもしました。手紙のやり取りもしたし、一週間、食事を作らない、食べないという根性比べもしました。

今となっては懐かしい傷跡であり勲章であり二人の思い出です。

とことんやりあったからこそ息子が何を求めているのか、何を基準に判断しているのかも理解できました。

そして思ったのです。

もう、ここからは私の価値判断で彼を導いたり誘導するのはやめよう。ここからはどんな道に進んでも恐れずそれを丸ごと応援しよう。

声優塾に行きたいと言ったら行かせました。

池袋でカラオケに行くと言ったら、門限を話し合って決めてから信用して出しました。

勉強も任せました。試験の結果も2点を取ってきたこともありましたが「大変だね」というに止めました。

次第に不思議なことに私自身、本当に彼の人生は彼のもの。

彼なら力強く生きていくだろうと大きく構えるようになりました。

夫も母も学歴を重視するので、これを貫くのはしんどい時もありましたが、息子の人生がかかっているとなると、

「まぁいいか」と意見を譲りことなかれを選択するわけにはいきませんでした。

私の自立は息子の自立のおかげです。

今、息子は大学も決まり、免許を取りに行ったり、映画を見に行ったり、友人と演劇をしたり、なかなか楽しそうです。

私のように周囲の意見に流されることのない頑固さを持っています。

私の生涯かけた実験です。

何があろうと全面的に肯定する。逃げ場になるかもしれないけれど、一人くらいそういう人間がいれば人は強く生きていける。

これが私のマイルール。ザ、肯定。