お花畑は見なかったけれど魂が離れた時
5年前、過労がたたり、ある朝突然、動けなくなり、緊急入院。
嘔吐と下痢のため血圧が急降下していたためそのまま、ICUで二週間過ごしました。自分では意識もしっかりあったつもりなのですが、運び込まれた日、家族は裏で「今夜、明日、もしもということもあります」と言われていたそうです。
当時中学1年だった息子は「お母さん、死ぬかもしれないんだ」と思ったそうです。
その時の記憶です。
私は一人で、部屋の中央のベッドに寝ていて、管がいっぱい繋がれ、頭の右上方には血圧を示すモニターがあります。
足元の方にドアがあり、時々そこから看護婦さんが入ってきて、私のオシメを変えたり、点滴をチェックしたりしています。
でも、モニターでチェックしているからなのか、私は一人で寝ています。
・・・と言うのを私は天井の隅の方から眺めています。
自分が死んだとも思っていない。眺めているだけ。
あぁ。寝てるなぁ。私。とも思っていないで、見てるだけです。
あれは。
今にして思えば、少しだけ魂が離れたんじゃないかと今でも思うのです。
ICUに個室なんてなかったのです。
それから私の中で
「私は身体ではない。私は視点」
と言う思いがあります。
身体は今の世界を体験するための道具のようなもの。
外界の人。それは家族や友達、知り合い、出会う人全てとコミュニケーションするためにあるもの。
景色、本。パソコン、テレビ、映画。なんでも。感じるためにある端末のようなもの。
表現するためのもの。
あの時の私が、意識がないと言われていた時の記憶があると思っているように、自分というものはあるようでないものかもしれません。
今はこの身体に入っている。
今はこの人生の波に漂っている。
そして、私はこの身体にもう一度戻ってこれてよかった。
以前より自分を必要以上にかわいそがったりしなくなった。
すべて、体験してるんだ。