楽しいと思うところまで、やる。
今夜はイブの晩ですが、私は取り立てて、なにもしていません。
「クリスマスだけど、なんかしないの」
「しないよ。だって君も母さんにプレゼント用意してないでしょう」
「う・・・それは・・」
そうは言っても、気持ち、華やかに見栄えのするお皿を並べようとは思っています。でも、グラタンとか、ミートソースとか。サラダにチキンとジャガイモのオーブン焼き。ケーキはスーパーで小さいのがあれば買うかなぁ。
大きなお皿で真ん中に出すということが、パーティの証なのだという、私の主張であります。
その昔は、この時期にやってくる、主婦を煽るあの感じにすっかりやられ、センスも技もないのに、素敵な食卓を作らないとと、毎年競っていました。クックパッドもなかったので、雑誌の特集や料理本の中から、簡単でそれらしい雰囲気を醸し出し、且つ、家族の賞賛を浴びるようなものがないかと、探し、献立を立て、それに基づき、買い物に行き、朝から段取り悪く台所でテンパるのです。
宴の席でプレゼント交換をする頃には私はぐったり。
その横て楽しそうに酔っ払っていく夫。
最後に残るお皿と残った料理。
みんながくつろいでいる時に食器を洗いながら、「終わった」と安堵していても、脳内は疲労しまくっているのです。
勝手に、ハードルを上げて、勝手に消耗する。
このことに気がつかない私は、「クリスマス、お正月は主婦の技量が問われるとき!」と、できる母を演出していたのです。
あくまでも私個人のことです。
お料理上手で、上手に楽しんでいる主婦の方はたくさんいらっしゃいます。憧れます。しかし、いっぺんに並行していろんなことができないのです。
昔からそうでした。ラジオを聴きながらの宿題、話をしながらの手作業。ながらっていうのができない。どっちかで頭は占領されます。今でもテレビやラジオをつけながら家事というのはダメです。手が止まってしまいます。もしくはお鍋の火を消すのを忘れたり、レンジに素材の下ごしらえを入れていたのを忘れたり。
ですから、息子がスマホでゲームをしながら、テレビのコメンテータにツッコミを入れつつ、Twitterやラインで友達と会話しているのを見ると、いったいどういう脳の使い方をしてるんだと、半ば尊敬してしまいます。
話が逸れました。
家族と自分に見栄を張っていたのです。無意識のうちに。
頑張っていた頃の私は、落ち込みも失望も大きく、家族にも求めるものが多かった。褒めて欲しい。わぁって言って欲しい。喜んで欲しい。
手を抜いてもたまに、わぁって言われることがあるということを発見しました。と、ちょっと謙虚な気持ちで嬉しくなる。そう、力を入れてないので反応自体、気にならない。求めてないから。
お料理上手な素敵なママというのは、私の場合はキャラ違いということを薄々、気がついていたのですが、結婚23年経った今、やっと認めましょう。どうも、私にそのセンスは無い・・・。
体が丈夫じゃ無い事のコンプレックスだと思います。せめて家事くらいは頑張らないと。せめてイベントのときは外さないように。
ヒットを飛ばしたい。
万年補欠っていう人がいるっていうのもいいかなぁ。
なんて、やっと自分に優しく甘くなってきたぐうたら主婦であります。