お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

秋の朝の不機嫌

息子が怒って出かけていった。

声を荒げてどうのこうのではないが、あれは明らかに腹を立てていた。

玄関のドアを放っておけばゆっくり閉まるのに、今日に限ってわざと、ぎゅっと押してしっかり閉めていった。こっちも見ずに。

学校で自分につきまとってくる嫌な奴がいるという。よく聞くと、あっちいってくれといえば、離れるし、息子だけに寄って来るのでもない。個性の強烈な人らしく、そのひとの顔が脳裏に焼き付いてしまい、恐怖さえ覚えるという。

はじめのうちは、そうなんだ、と聞いていたが、相槌を打っていると、だんだんエスカレートして、このところ毎日、食卓ばかりでなく、家の中で私と顔が合えば「気持ち悪い」「トラウマになったらどうしよう」とぐちぐち繰り返すようになった。

「逃げろ」

「逃げてるよ」

トラウマとかなんとか怯えながら、その合間合間にYouTubeやラジオを聴きながら一人でゲラゲラ笑っているのが部屋から聞こえてくる。本当に追い詰められていて、こんな馬鹿笑いが出るのかと思うような、それは楽しそうな笑い声だ。それを聞いて、私は安心している。

今朝、いつものように4時半に起床の息子が起きないので声をかけた。

「なんだよっ」

「なんだよってバイトでしょ。起きなくていいの、四時半だよ」

「あ・・・・」

時間が遅れたことが不機嫌ポイントその1。

こっちも、寝起きが悪く無言で台所でカレーを温めた。

そこに、いつもの。

「あ〜。起きたらすぐあの顔を思い出す」

昨日の夜、大笑いしてたくせに。

「あ〜〜〜。あ〜〜〜。」

黙っていた。それが気に入らなかったのか、しつこく愚痴る。

「もう、どうすればいいんだよ」

これまでなんども言った。席を離れろ。忘れようとするから余計きになるんだよ。それはトラウマじゃないから大丈夫。色々言った。辛抱強く、笑顔で相手をしてきたつもりだ。

「もう、知らないよ。」

これがいけなかったようだ。知らないよって言葉が。

でも、知らないよ、そんなの、いつまでもおんなじこと、ぐちぐちぐち、聞いているこっちの身にもなってよっ!!・・・・を飲み込んで、ギリギリ、この一言に押し込めたのだ。

「ごちそうさま」

明らかに、椅子荒く、席を立ち、無言で出かけていった。

 

数日前に、自分の相談に乗ってくれた息子にしてはいけなかったことだったろうか。

でも、私としては、初めて「知らないよ」と言えた爽快感の方が大きい。

知らないよ、みんな。

私だって、私だって、疲れてるんだから・・・・。

 

おっといかん。

こんな風に書いていると、つい、センチメンタルになってじわっと涙が滲みそうになる。

秋って嫌ねぇ。

やっぱ、iPad Proでも買って、健気な私ってキャラ、ぶっつぶそうかな。

自分勝手な私と怨念めいた我慢強い私。

私は前者の自分が好きだなぁ。

カード情報やられた

カード会社から電話があって、昨日の午後6時5分に23万の買い物をしたかと確認された。

していない。

そうですか・・・ではこれはこちらの方からストップをかけておきますので、大丈夫です。

大丈夫じゃないっ。どう言うことだ。私のカードがつまり、誰かに情報が流れて悪用されているということなのか。

「それではですね、こちらのカードは本日から使用できないようにいたします。そして、また、新しいカードをお送りしますので」

新しいカードが届いても、そこにも悪人の目が付いてくるのではないかと、不安が残る。

海外のサイトでの買い物らしい。何を買ったのかまではわからないという。

新しいカードが届いたら、アマゾンなどのカードの情報を登録してあるところのカード情報を変更するようにと言われた。

私が登録してるのは、1、2、3。あとは公共料金。

電話を切ってからも、自分に落ち度があったのではないかと落ち込む。

被害者だぞ、私が落ち込むこたぁないっ。

空き巣に入られたり、置き引きにあったり、詐欺にあったりした人たちは、実際の被害の他にもっと別の傷を負っているのだと知った。

当分私は、現金主義でいきまっせ。

 

見守るということ

門の修理の職人さんたちが来ている。母も姉も出かけるので、留守番を頼まれた。

積ん読だった、でも、まとまった時間で腰を据えて読みたいと思っていた本をたっぷり読んだ。

3人の作家の本。それぞれが呟いていた。

3人の心が表現されたものを読み終えた。

一日の終わりに思う。人は誰でも、どんな人でも、漏れなく、誰も共有することのできない苦しさや切なさを抱えて日々を送っている。

そこが気になって気になって、フォーカスする人。あえて、そこに焦点を当てないようにして、エネルギーや作品に昇華する人。まだ、その人自身も、そこが基点なのだと自覚していない人。それぞれだけれど。

頭を洗ってあげることはできても、代わりに食べて栄養補給をしてあげることができないように、きっと、ある程度のところからは、そこには誰もついて行ってあげられない、個の世界。

私は、そこにじっとうずくまるのが好き。時々、その個室に独りっきりで潜って行って、自分に会いに行く。苦しい時こそ、それをして、自分を確かめたくなる。

それが読書だったり、ブログの時間だったりするのだろう。

ここにきて、多くの人のブログから感じるものの、もっと深いところへは共有できない。想像して、悲しくなったり、熱くなったり、しんみりしたりする。

でもその人の中の最後の部屋までは、誰も入れない。

そんなことをぼんやり考えているうちに息子を想う。

彼にもその部屋があるのだ。

そして私はそこには入れない。

これから、その部屋にはどれだけの荷物が積まれて行くのだろう。

私は側で何かを感じ取り、何かをしてやりたいと思うが、できることはないのだ。

せめて、それを見守る私は、健康で陽気な優しさを持っていたい。

強くならねば。

強くなれる。